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2度目の戦力外通告「辞めないで!」泣いた息子 引退か現役か…プロ野球選手が決断するとき【山崎武司の場合】
posted2020/11/28 17:03
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
BUNGEISHUNJU
かすれるような小さな音が、静まり返った室内に寂しく響いていた。
記者会見場を埋め尽くす報道陣のなかには、すすり泣く記者がいる。本来なら誰よりも冷静に現場を取り仕切らなければならない球団広報ですら、涙を流していた。
沈痛な静寂のなか、最初こそ気丈に振る舞っていた主役も、大きな左手で目頭を押さえながら想いを吐いていた。
2011年10月9日。
楽天の山崎武司は、この年限りで自由契約となり、東北を去ることをファンに報告した。
「来年はチームの構想に入っていない」
戦力外を直接言い渡したのは、当時の監督であり、中日時代の山崎の「育ての親」でもある星野仙一だった。
「俺の罪は重い」
43歳を迎えるこの年、楽天の本拠地である宮城県が東日本大震災により被災した。「東北に活力を与えたい」。そう奮闘を約束して臨んだシーズンだった。
固い決意を、形にできなかった。
右手薬指の骨折や終盤の大スランプもあって、打率は2割2分9厘で本塁打は11本。楽天に移籍後ワーストの成績に終わり、優勝を誓ったはずのチームも5位と、不甲斐なさだけが山崎を支配していた。
「俺の罪は重い」
チームの主砲は自分を戒め、大減俸を突き付けられても受け入れるつもりだった。
「寄せ集め集団」の精神的支柱だった
ところが現実は、戦力外という山崎にとって最悪のシナリオだった。