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2度目の戦力外通告「辞めないで!」泣いた息子 引退か現役か…プロ野球選手が決断するとき【山崎武司の場合】
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2020/11/28 17:03
2011年に楽天から戦力外通告を受けた山﨑武司
「大人気ない」と批判されがちだが……
今となってみれば、行動に関してはやりすぎだったと自嘲できる。だが、主張は間違いではないとも思っている。
事象を真正面から受け取ってしまうと、「大人気ない」と批判されがちだが、山崎には、一本の太い筋が通っている。
「俺は、全部が自分の思い通りにしたくて行動はしないから。監督やコーチに本気で歯向かう以上は、組織にいられなくなっても文句は言えない。その覚悟はいつもあった。やりたい放題やって『でも、球団に残してください』。そんなムシのいい話なんてない。やり方はさておき、俺は自分の言動には責任を持っていたつもりだから」
俺は最後まで『ガキ大将・山崎武司』でいたかった
オリックスを戦力外になった04年に、一度は引退を決断していた。
理由はこうだ。
「しばらく野球と距離を置きたかったし、そもそも、こんな問題児を受け入れてくれる球団なんかあるわけない」
捨てる神あれば、拾う神あり。時を同じくして楽天が新規参入を果たしたのは、山崎にとって僥倖だった。初代監督の田尾安志に誘われ入団し、06年から監督となった野村の手腕によって再び花を咲かせたのである。
オリックス、楽天――“2度”の戦力外。それが、山崎らしさをより際立たせる出来事となったわけだ。
7年後の11年に楽天を自由契約となりながら、現役続行を決意した山崎は古巣の中日に入団した。そして13年、今度は潔くユニフォームを脱ぐと決め、27年の波乱に満ちた現役生活に終止符を打った。
通算1834安打、403本塁打、1205打点。
山崎は結果を残すことで自己主張を貫けたのか。それとも、自己主張を貫いたことで結果を残すことができたのか?
答えはきっと、どちらも正解であり、不正解でもあるのだろう。
「大人の対応をすればよかったのに」
そのように疑問を呈したい声のほうが、おそらくは大多数を占めるだろう。
それを自覚しながらも、山崎武司は最後まで山崎武司であり続けた。
「野球界の先輩にも、他の知り合いからもよく言われたよ。『大人になれ』って。でも、俺は最後まで、やんちゃ坊主の『ガキ大将・山崎武司』でいたかった」
そう言って豪傑が笑い飛ばす。そして、すぐさま冷静に、こうも付け加えた。
「でもね、他の人は絶対に俺を見習ってほしくない。後輩たちにも言ってるからね。『俺の生き方なんて真似すんなよ!』って」
ジャイアンのような自我丸出しの野球人生。
タケシはそう念を押し、また豪快に笑った。