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マラドーナに「テコンドー」と揶揄された韓国サッカー 86年メキシコW杯で生まれた因縁と勲章
text by
キム・ミョンウKim Myung Wook
photograph byGetty Images
posted2020/11/28 11:01
1986年6月2日、メキシコW杯アルゼンチン対韓国。マラドーナに厳しくチャージを仕掛けるホ・ジョンム
万全の準備で迎えたアルゼンチン戦
そんな心配を払拭するかのように、韓国代表はワールドカップ予選を突破したあとの85年11月にメキシコ入りして、同年12月にメキンコ代表と2度の強化試合を行なった。さらに、86年の2月中旬からは当時の西ドイツ・デュイスブルクで1カ月の合宿を行なっている。その目的は、イタリアとブルガリアに関する情報収集とブンデスリーガでプレーしていたチャ・ボングンと呼吸を合わせることだった。
その後、86年4月にアメリカのロサンゼルスに移動し、コロラドでは高地トレーニングを敢行した。万全の態勢を整えて本番を迎えたが、第1試合でアルゼンチンのマラドーナに完全にゲームを支配されてしまう。
「マラドーナを止めようと食らいつく、韓国人選手の必死の形相が目に浮かびます。ピッチから選手たちの緊張が伝わってきましたよ」
パン・ソクスンはそう言って、おもむろに一枚のメモを取りだした。
「アルゼンチン戦で韓国の選手がマラドーナに浴びせたファウルは十数回あったのですが、退場者はいませんでした。私の記憶ではその試合でイエローカードをもらったのは、2人しかいなかったはずです」
韓国の選手が警告を受けたのは、ホ・ジョンムとパク・チャンソンの2人だけだったが、試合終了後の記者会見場は、マラドーナに対するファウルの話で持ち切りだったという。そこで韓国は「ピッチの上でテコンドーをした」というレッテルを貼られてしまう。
「技術が高ければスムーズにボールが奪えた」
アルゼンチンの記者たちが、「マラドーナやそのほかの選手たちをケガさせようとしていた」と話していることに気付いたパン・ソクスンは、彼らにこう説明した。
「守備の組織や技術レベルが高ければ、スムーズにボールを奪えたでしょう。自分の持てる力を出して、守備をした結果がそうであっただけで、故意にファウルを犯したわけではありません」
パン・ソクスンは世界とのレベルの差を認めつつも、何も残せなかったわけではないと考えている。
「韓国の選手たちは、実力で世界に遅れをとっているとわかっていても、強い愛国心と精神力を持って戦うことだけは忘れていませんでしたし、強い気持ちはプレーに表れていました。その象徴がアルゼンチン戦だったと言っても過言ではありません。ホ・ジョンム監督がファウル覚悟でマラドーナを止め、『テコンドーサッカー』と言われても、それはむしろ、相手に韓国のサッカーを強く印象付けた“勲章”だと思うのです」
当時の取材記者にとって、86年大会の韓国代表は、グループリーグで敗退しながらも世界に痕跡を残した自慢のチームに映った。
だが、実際にメキシコに乗り込んだ選手たちが肌で感じた世界の感触は、それとは少し違っていた。
【後編へ続く】韓国の野望を打ち崩したマラドーナ 32年ぶりのW杯で味わった世界との差「あいつは止められない」