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藤原恭大らと同じミレニアム世代…“早慶戦で劇的2HR” 早大・蛭間拓哉が2年生で「覚醒」したワケ
text by
大島悠希Yuki Ohshima
photograph byKyodo News
posted2020/11/23 11:02
ヤクルトの“ドラ1”木澤相手に逆方向へのホームラン。蛭間拓哉、その才能は徐々に開花しつつある
ルーキーイヤーは苦い思い出に
早大へと進学した蛭間だったが、1年目はなかなか結果を残すことができなかった。
春のリーグ戦は4打席出番を与えられたが3三振と、六大学の投手のレベルの高さに苦戦。直球の質や変化球のキレが高校とは雲泥の差で、攻略の糸口を見つけることができないまま終えた。「もっと結果を残せると思っていたのですが、全然うまくいかなかった」と本人も語るように、高校時代の蛭間を知っている人間からすれば首を傾げたくなるほどであった。
不安定なスイングの軌道を修正するために、夏の期間の練習ではひたすら振り続けた。すると徐々に結果が出始める。夏季オープン戦最終戦では3安打と猛アピールし、スタメンを確固たるものにする。開幕カードではリーグ戦初安打となる右中間を破る二塁打を放つなど、貧打にあえぐチームの起爆剤となることが期待された。しかしリーグ戦真っ只中で肺炎にかかり、離脱。スタメンとして復帰するまで約1カ月を要するなど、もどかしい時期を過ごすことに。
結局春、秋通じて打率.208という物足りない成績でルーキーイヤーを終えた。
「覚醒」を誓った冬、バットを振れない3カ月
秋季リーグ戦を終えて新体制に入った約1年前のこと。蛭間は2年春のリーグ戦の個人的な目標として、「ベストナインを取ること」と「打率を.350以上打つこと」を掲げていた。
未だシーズンを通してレギュラーとして出続けていない選手が何を言っているのだ、と感じた人がいたかもしれない。しかしルーキーイヤーは不完全燃焼だったとはいえ、蛭間の潜在能力からすると、万全の調子を維持できれば――。高そうに思える目標も達成できるのではないかと感じさせる何かがあった。この冬になにがなんでも「覚醒」したいという切な願いは、本人の様子から痛いほどに伝わってきた。
体づくりを一から見直し、バッティングでは理想の感覚を追求しようと日々修正を施した。小宮山悟監督からの期待も高く、オープン戦では常に中軸で起用され続けた。しかしその矢先、まさかの出来事が起こった。
手を怪我してしまったのだ。
約3カ月にも及んだバットを振れない日々。トレーニングしかできることはなかった。新型コロナウイルス感染拡大の影響で春のリーグ戦が8月に延期したこともあり、蛭間は実戦復帰を見据えてひたすら体の土台をつくることに専念。その結果、体重は81キロから85キロに。バッティング時における下半身の力強さは着実に増していった。実戦の機会は少なかったが、春のリーグ戦前には「打球も強くなりました」と手応えも手にしていた。