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ベイスターズ一筋16年、戦力外通告・石川雄洋が明かすファンへの思い「横浜で優勝したかった…」 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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photograph byNaoya Sanuki

posted2020/11/19 17:03

ベイスターズ一筋16年、戦力外通告・石川雄洋が明かすファンへの思い「横浜で優勝したかった…」<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

石川雄洋のプロ野球人生はベイスターズ一筋16年、横浜のファンたちに愛されてきた。これから新たな道を歩むことになる

ファームで過ごした若手選手との新鮮な時間

 1軍の負けが込んだり、内野のポジションが手薄になった状況でも声はかからない。鬱屈した思いもあったが、「自分では決められないこと。あまり考えないようにした」という。若手選手と汗を流すファームでの練習のなかで、新しい発見もあった。

「若い選手が多いので、取り組み方を見るのは新鮮でした。若い選手を教える機会や意見を聞かれる機会もあって、そのなかで自分もこうだったなとか、あらためて感じることもありました」

 ドラフト6位ルーキーの蝦名や、「あいつは天才」と評価する3年目の楠本に打撃でのタイミングの取り方のアドバイスを聞いたこともある。「そういうのに先輩とか後輩は関係ないと思う。自分にとってすごくいい時間になっていました」と振り返る。

「クビかな」一軍出場ゼロの石川にヤクルト・坂口が

 夏が過ぎても一軍の声がかからないとなれば、球団側の方針はなんとなく悟っていた。
 
「この時期まで1回も呼ばれていないとなると、多少は引退も考えた。クビかな、という思いはありました。でもオープン戦から1試合も(一軍で)プレーできなかったというのは、やっぱり悔しい。もういっぺん、どこかで勝負したかった」

 退団、現役続行の決断には、兄のように慕う背番号「42」の存在が支えになった。2015年にオリックスを自由契約となり、求めた新天地のヤクルトで活躍する坂口智隆だ。どちらも風貌などから誤解を受けやすく、アピールが苦手なタイプ。それでも無骨に努力を重ね背中で示す姿に憧れ、石川は今季慣れ親しんだ「7」から「42」に背番号を変えた。

「LINEをもらいました。そういう状況(退団)になったのはオレの方が先輩だから、というようなことを言ってくれて。いつ呼ばれてもいいように、体はちゃんと動かしておいた方がいい。相談だったらいつでも受けるから、って。ありがたいですね。そういう先輩の姿をちゃんと見てきたので、僕も何とか頑張らないといけない」

【次ページ】 地鳴りのようだった東京ドームの青い熱狂を忘れない

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