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「1億円でもすぐなくなった(笑)」“ガンバの天才”礒貝洋光が振り返る93年Jリーグ開幕バブル
posted2020/10/10 17:01
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph by
Tomosuke Imai
高校時代から超高校級と称され、学生ながら91年に日本代表入りも果たしていた礒貝洋光。Jリーグ開幕を翌年に控えた92年に東海大を中退し、ガンバ大阪入りすることになったが、当時、彼のもとには多くのクラブからオファーがあったという。
「Jリーグは10クラブでスタートしたけど、オファーは12クラブからあったような感覚だった。いちばん最初に連絡をくれたのはグランパスの監督だった平木(隆三)さんで、ほかのクラブの話も聞こうと思い返事を保留にしていたら『うちと天秤にかけるのか!』と怒られたのを覚えてる。
まだ携帯電話もない時代で、自宅や大学の黒電話でのやり取りだから、連絡も取りづらかった。競合したクラブが入札する制度とかあったらよかったんだけど。結局はガンバに決めたけど、釜本(邦茂)さんにステーキをご馳走になったら断れないでしょ(苦笑)」
Jリーグ開幕に向けたプレ大会として92年にナビスコカップがスタートし、この年に高校や大学から入団した選手は、いわば日本リーグを経由せずにプロ入りした1期生といえた。もちろん、プロ野球のようなドラフトもなければ、いまのようにインターネットも発達していない。礒貝のような注目選手は、すべてのオファーを詳細に知る時間的な余裕もなく半ば強引にクラブに引き抜かれた面も否めなかったのだろう。
「金額を見たらお小遣いどころじゃなくて……」
Jリーグ以前の日本サッカーといえば、毎年冬に国立競技場で行われた高校サッカー選手権の決勝が満員になった一方、トップリーグの「日本サッカーリーグ(JSL)」のスタンドは閑古鳥が鳴いていた。
それが93年の開幕を機にスタンドはどの試合も一杯になり、それまで大学生だった選手や実業団で社業の傍らサッカーをやっていた選手が高額の年俸を手にするようになるなどすべてが一変する。
「不思議だった。学生時代はただのサッカーバカだった人たちが、サッカー選手がどういう職業かもよくわからないままに、“お小遣い”くれるからやってみるかという感じで。それも金額をみたらお小遣いどころじゃなくて、『もう少し真面目にやらないと』みたいな(笑)。おそらく多くの選手がそんな感じだったと思う」