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「人違い退場」事件後に気付いた「やめること」の大切さ “日本一嫌われた”家本政明が綴る審判人生
posted2021/02/03 06:01
text by
家本政明Masaaki Iemoto
photograph by
J.LEAGUE
【第3章 繰り返される失敗の根源と向き合う/2016年~18年】
2008年の「富士ゼロックス・スーパーカップ」以降、僕は大々的な「自己改革」に挑み、その結果として多くの重要な試合を任されるようになりました。ところが、2016年の「Jリーグチャンピオンシップ決勝第1戦 鹿島アントラーズvs.浦和レッズ戦」で再び奈落の底に突き落とされます。
この試合は、両チーム非常に激しいプレーが続き、至るところでファウルが繰り返され、お互いがなんとか主導権を握ろうと激しくやり合い、意識がサッカーではない方に向かっていく、そんな展開でした。
そして後半11分頃、ついに “事件” が起きます。この試合を決定づけた「PK」です。
浦和が右サイドでボールを保持している時に、鹿島のペナルティエリア内で西大伍選手が興梠慎三選手を斜め後方から激しくチャージして倒しました。その試合は追加副審もいたのですが、ボールが副審1の前あたりにあったので、西選手のコンタクトがハッキリ見えていませんでした。ですが、僕はペナルティエリア内の方に「嫌な予感」がしていたので、2人に焦点を当てていたところ、先のような事象が起きたのをハッキリと目撃したのです。
ファウルで得たPKによって浦和は先制し、その後は両チームに得点が生まれなかったことで、結果的にこのPKが試合を決定づける形となりました。
PKは「正しかった」が、相次ぐバッシング
試合終了直後、審判委員長と副委員長が審判控室に来られて、「PKは正しかった。よくあの難しい場面を正しく判定できたな。お疲れ様」と労をねぎらってくださいました。
その後も、たくさんの審判仲間が映像付きで僕に連絡をくれて「正しい判定」を支持してくれましたし、僕も映像を見て「何も問題ない。間違いなくPKだ」と改めて確信していました。ただ、嫌な予感はしていました。「翌日のメディアは荒れるだろうな……」と。
予感は的中しました。翌日から大々的に「家本バッシング」が始まりました。バッシングには強い免疫ができていたものの、家族にまで被害が及んだことで、状況は深刻なものになりました。
事態の沈静化のために、僕の判定が間違っていないこと、僕の家族が苦しんでいることをリーグから世間に伝えてもらいたかったのですが、協力が得られず。審判個人のネットでの自己発信がタブーだったこともあって、結局、言われ放題、書かれ放題。さらには第2戦の担当審判名がリークされるという、異常な状況になっていきました。
「なんでオレばかりなんだ……」「どうして勝手なことばかり言わせて、判定が正しいことを公にしないんだ……」「家族まで巻き込まれているのに、誰も守ってくれないなんて……」
この一件で誰を、何を信じていいのか全くわからなくなった僕は、人に対して完全に心を閉ざし、誰からの連絡も完全にシャットアウトし、人との交わりを断ちました。