バレーボールPRESSBACK NUMBER
長岡望悠「また違う自分で成長を」。
2度の大怪我、バレー人生の再出発。
posted2020/07/25 11:30
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
SAGA Hisamitsu springs
2年前の世界選手権では後ろに束ねていた髪が、すっかり短くなった。
全国制覇を成し遂げた高校生の頃も、リオデジャネイロ五輪に出場した時も、いつもショートカットに見慣れていたせいか、「だいぶ切った」と言われても、違和感はない。
「あの頃はガムシャラでしたね。とにかく真っ直ぐ、脇目も振らない。でも、よく頑張って来たなぁ、って思うんですよ」
のんびりとした口調で、両手で頬杖をつきながら、長岡望悠が笑う。
「ほんとにいろいろ。いろいろ、ありました」
着地した瞬間、“あれ?”。
2018年12月2日。秋の世界選手権を終え、イタリアセリエAのイモコ・バレー・コネリャーノに移籍した長岡が、イタリアで迎えた8戦目。スタメン出場も果たし、調子は上々だった。
予兆など、あるはずもない。
前衛で相手のスパイクに対してブロックに跳ぶと、相手は避けようとフェイント。そのボールを自らカバーするも、ちょうど真上、ネットに近い位置へ上がり、もう一度押さえて得点にしようとジャンプし、着地する。
次の瞬間だった。
「左膝がグラッとして、何か起きたことはすぐわかりました。でも、1回目の時は明らかに音もすごくて、膝の向きもおかしな方向に曲がったけれど、2回目は“あれ?”と思う程度だったんです。だから、何か起きたと思いながらも何が起きたのか。自分でもわかりきれていませんでした」
翌日病院へ行き、検査を受けた。イタリアの病院での診断後、日本の医師にも見解を求めると、どちらも診断結果は左膝前十字靭帯損傷だった。
長岡は'17年3月にも同じ箇所を受傷し、手術を経て、長いリハビリからようやく復帰を果たしたばかりだった。なぜ、どうして。入り乱れる心情を長岡は「ぐちゃぐちゃだった」と回顧する。
「もう無理だな、と。あれだけしっかり診てもらって、リハビリもして、もう大丈夫って思っていたわけだから。しかも1回目の時よりも、もっと簡単な動きで切れてしまって、“これで切れるんだ”と思ったら、何でそうなったのかと嫌でも考える。もうバレーはできないって思いました」