プロ野球亭日乗BACK NUMBER
巨人「47都道府県スカウト」の真意。
“根本陸夫流”情報収集と育成用人材。
posted2020/07/08 15:00
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
KYODO(L),Hideki Sugiyama(R)
「第1回選択希望選手、西武……森山良二、投手、ONOフーズ」
1986年のドラフト会議での出来事だ。
会場にパ・リーグ事務局広報部長の伊東一雄さんの甲高い声が響いた瞬間に、本当に西武関係者を除く全員が「アッ」と息を呑んだ。報道陣の間では「森山って誰? ONOフーズって何?」とそんなヒソヒソ声がさざ波のように静かに広がっていく。
その中で、西武の根本陸夫管理部長の目だけが自信満々に光っていた。
「本人がどうしてもプロに行きたいって言うけん。ほんじゃあちょっと観にきてくれんかのうと、根本さんに頼んだんですわ」
後にこの顛末を聞いたのは、北九州市にある食品会社「ONOフーズ」の当時の社長だった小野昭二さんである。
大学を中退させて半年間、トレーニングを積ませた。
森山は福岡大附属大濠高校の出身で、3年生の1981年夏には甲子園大会にも出場。初戦の函館有斗戦では5安打2失点で完投勝利を収めている右投げの投手だ。
高校卒業後は早稲田大学進学を目指して2浪したが、あえなく受験に失敗。その後、北九州大学に入学して野球をやっていた。その時にプロ志望ということで、知り合いに紹介されたのが、早稲田大学野球部出身で球界に顔の広かった小野さんだったのである。
「お願いすると根本さんが小倉まできて直接、観てくれた。すると『小野ちゃん、これは本物ぞ。ウチは1位でいく』となったんです」
そうと決まればと、根本さんの指示でプロ入りの準備のために大学を中退させて「ONOフーズ」の社員として少年野球の指導をしながら半年間、トレーニングを積ませた。
そうして他球団がノーマークの中で、いきなり1位指名して世間をアッと言わせ、プロ2年目の88年には10勝を挙げて新人王に輝いた。