ラグビーPRESSBACK NUMBER
エディーが期待したスペシャルな才。
竹中祥27歳、戦力外後の心境を激白。
text by
大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph byNobuhiko Otomo
posted2020/06/21 20:00
2012年6月、フレンチ・バーバリアンズ戦で80mを独走してトライを決めた竹中。
ラグビーを教えたいわけじゃない。
「ラグビーを教えたいわけじゃないんです。それは一切ない(笑)。やりだすと、こうしろああしろと指示して、影響を与え過ぎちゃうと思うんです。でもそれって良くない。自分自身を振り返っても、そんなだったらラグビーを続けてこなかったと思う。高校(桐蔭学園)でも、藤原監督は基本プレーのことしか言わないで、いつどこでどんなプレーをするかは選手に考えさせた。キャプテンの(小倉)順平が自分や(松島)幸太朗をどう使うかを考えて、そこにみんなが思ったことをいいあって、みんなでプレーを作っていて、それが楽しかった」
お箸の持ち方は教えるけど、何をどの順番でどのくらい食べるかは自分で決めろ、ということかな? と尋ねると、竹中は「そうそう、そんな感じです」と答えて「教えられるほどスキルがあるわけじゃないんですが」と苦笑した。
「強いて教えられるとしたら、基礎的なスキルですかね」
また、目覚めるかもしれない。
大学に戻るには試験があるが、情報を集めたところ、自分が卒業した筑波大になら、たぶん戻れそうだ。幸い、勉強は嫌いじゃない。現役プレーヤーとしての生活には区切りをつけた。食事の量も減らし始めた。5年間暮らした我孫子の独身寮も6月中には出なければならないが、筑波に戻るのを前提に、以前のバイト先に相談して働くメドもつけた。どうやら新しい日常が始まりそうだ。
ただし、ラグビーと縁を切ると決めたわけではない。教職課程を取るには最短でも2年半はかかるだろう。その間、筑波に住むのだ。筑波大ラグビー部には年齢の近いコーチも大勢いるし、ラグビー部の練習には顔を出したい。近くの高校生や中学生にも教える機会があれば教えたいし、OBクラブでプレーしたい気持ちもある。
「やっぱりラグビー好きですからね」と竹中は言った。
もしかしたら、そんな新しい生活の先には、また違う未来が待っているかも知れない。痛みの消えた足首でグラウンドを走ったら、もう何年も忘れていた感覚がよみがえってくるかも知れない。はじめは遊びのつもりでも、コーチしているだけのつもりでも、違う何かが目覚めるかも知れない――しつこいけれど、そんなことを夢想させるほど、かつて花園の、秩父宮の、国立の芝を駆けた竹中の姿は眩しく、観た者の脳裏に刻まれている。
どこのグラウンドで、何色のジャージーを着て、何番の背番号をつけているかも分からないけれど、またあの疾走を見られるだろうか。トライを決めた後の、目がどこにあるか分からない笑顔が見られるだろうか。
27歳。可能性の扉は、まだあらゆる方向に開かれているはずだ。