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ごっつぁんゴーラーは育成できるか?
インザーギの恩師3人と本人に聞いた。 

text by

豊福晋

豊福晋Shin Toyofuku

PROFILE

photograph byGetty Images

posted2020/06/13 19:00

ごっつぁんゴーラーは育成できるか?インザーギの恩師3人と本人に聞いた。<Number Web> photograph by Getty Images

セリエAやCLで得点を量産したインザーギ。ユベントスとミランでスクデット獲得計4回、ミランではCL優勝2回にも大きく貢献した。

最初の“移籍金”は1000ユーロ前後。

 インザーギという名の、ひょろりとした少年のプレーに目が行くまでに、それほど時間はかからなかった。ボルゴノベーゼ対サン・ニコロ。周りは14歳の少年ばかりだったけれど、インザーギはひとりだけ10歳。

 しかし、ピッチの上をするすると走り抜ける彼の姿に、ルビーニは何か特別なものを感じた。彼は当時のスカウティングレポートにこう記している。

“もう一度見るべきはサン・ニコロの若きストライカー、インザーギ。ピッチ上での動き方よし”

 後にルビーニはクラブを説得し、1年後にインザーギの獲得にこぎ着ける。サン・ニコロに支払った額は、現在の額でたったの1000ユーロ前後だった。

 このお世群にも上手いとはいえない少年をどう育て上げるのか。それがルビーニら下部組織に関わる人間に課せられた使命だった。

あらゆる姑息な手段を使ってでも点を取る。

「とにかく他の少年よりゴールヘの意欲が強烈だった。練習でも試合でもね。私はそれが彼の最大の強みだと思った。あれこれ学ばせるのではなく、とにかくゴールを奪うため、それだけのために育てようと」

 ストライカー用の特別なメニューを課したわけではない。ひとつだけ求めたのは、点を取れということ。

「ここへ来る前からピッポはフォワード一筋だった。普通は色々なポジションを試すものだがね。

 そして救いがたいほどの負けず嫌いだ。ありとあらゆる姑息な手段を使ってでも点を取る。

 そんな、どこか鬼気迫るものがあった。この年代では可能性を広げるため、結果だけを求めることはあまりしない。しかし彼には得点だけを求めた。結果的にそれはいい方向に進んだと思うね」

【次ページ】 得点感覚だけが、一本の剣のように研ぎ澄まされた。

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フィリッポ・インザーギ

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