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あの日、マイク・タイソンは乾いていた。
「衝撃の東京ドーム」を見た2人の証言。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byMikio Nakai/AFLO
posted2020/06/14 19:00
1990年2月11日、ダグラスにKO負けを喫したマイク・タイソン。意識が朦朧とする中、マウスピースを咥えて立ち上がったが……。
「今日、結論は出ません」
通信社は加盟している各社に記事を配信することが使命だ。全国の新聞社がタイソン戦の結果を待っている。だが、このままの状況では記事の書きようがなかった。試合は午後1時過ぎに終わったのに、もう陽が落ちかけている。津江は焦った。他の記者たちとともに、試合の共同プロモーターである帝拳ジム会長・本田明彦を囲んだ。
「本田さん、教えて下さい。結果はいつ出るんですか?」
英語、スペイン語を操る国際的なプロモーターとして知られる本田は端的に言った。
「申し訳ないが、今日、結論は出ません」
津江は考えた。本田の言うことに間違いはないはずだ。今日、裁定が出ることはない。ならば、どう書くべきかは明白だった。
『ダグラスが10回1分23秒、タイソンをKOした』
はっきりとそう書いて出稿した。
結局、関係者すべてが東京ドームを後にしたのは午後10時をまわってからだった。人影もまばらなプレスルームで津江は帰り支度をはじめた。電話が鳴ったのはその時だ。デスクの声だった。
「AP、ロイター、 UPIが3社ともノーコンテスト(無効)と打ってきたぞ!」
頭が真っ白になった。海外通信社がそろって出した記事だけに衝撃は大きかった。
「とにかく会社に戻ってこい」
デスクはそう言って電話を切った。津江はドームを出るとタクシーに飛び乗った。様々な考えが頭の中をぐるぐる回り、鼓動が速くなっていた。
もう2度と取材できないかもしれない。
虎ノ門の共同通信本社に着くと、5階の運動部へ急いだ。蛍光灯に照らされたフロアにはまだ何人もの部員たちがいた。デスクは津江の顔を見るなり、A4大の外電記事を渡してきた。
『最終結論はノーコンテストとなった』
記事には確かにそう書かれていた。
「ノーコンテストに差し替えるか?」
その言葉に津江は熱くなった。
「あの試合を見たでしょう? あれのどこがノーコンテストなんですか!」
フロアが静まり返り、他の部員たちの視線が2人に集まる。デスクは部屋の隅に場所を移すと、津江にこう言った。
「お前の言っていることはわからないでもない。ただ、海外の通信社が全部書いてきているんだ。根拠があるんじゃないのか?」
その目の奥に真意を見た。
「お前の取材が甘かったんじゃないのか、と。そう思われていたんでしょうね。自分よりも、海外通信社の記事が信用されているのかと思うと悔しかった」
津江の腹は決まっていた。小学2年のあの日、座布団に座って観た白黒テレビの記憶がよみがえる。誰が何と言おうとリング上で起きた事実は覆せない。だからボクシングは美しいのだ。津江はタイソンが好きだった。本物だったからだ。そんな彼を“偽物のチャンピオン”に貶めたくなかった。
「踏み込めません」
デスクの顔色が変わった。
「何でお前はそんなに勇気がないんだ!」
心が冷めていくのがわかった。怒りはやるせなさと、情けなさに変わっていた。
津江は本社を出た。もう午前1時だった。横浜市青葉区の自宅へ帰るタクシーの中、最後に言われた言葉が何度も胸によみがえった。気づけば熱いものが頬を伝っていた。悔しくて悔しくて涙が止まらなかった。
そして、あることに気づいた。
もし、外電が事実なら、もう2度とボクシングは取材できないかもしれない――。 デスクの言葉は会社の言葉だ。津江はそれを突っぱねた。責任は免れない。それでも自分が書いたことへの確信だけはしっかりと胸にあった。
とても眠れそうになかった。家に着くと、いつもより苦いビールを飲みながら朝を待った。長い、長い夜だった。夜明け前、新聞受けが「コトン」と鳴った。津江は一目散に新聞を抜き取ると、夢中で開いた。
「タイソン屈辱のKO」
「王座“事実上”空位」
各紙、反応は様々だったが、タイソンのKO負けを報じている新聞もあった。少し気持ちが落ち着いた。それから程なくして会社から電話があった。
「津江、ダグラスが新チャンピオンに認定されたと発表があったぞ」
3団体の1つIBFがダグラスを新王者と認めたのだ。一気に体の力が抜けた。全身を疲労感が包み込む。津江にとってそれはリング上の真実が守られた瞬間だった。