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あの日、マイク・タイソンは乾いていた。
「衝撃の東京ドーム」を見た2人の証言。
posted2020/06/14 19:00
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Mikio Nakai/AFLO
マイク・タイソンからは確かに何かが抜け落ちていた。
1990年1月16日、関東地方は朝から雪だった。ロサンゼルス発日本航空61便は成田空港の上空で待機を余儀なくされた後、予定より2時間も遅れて着陸した。後から思えば予想もしないことが起こる前兆だったのかもしれない。
日本テレビ・スポーツ局のディレクター、今村司は到着ゲートで1人の男を待っていた。現れたのは1200万円の真っ白なミンクのコートを羽織り、取り巻きを大勢引き連れた世界統一ヘビー級王者だった。無数のフラッシュを浴びると笑みを見せ、黒塗りのリムジン6台に乗り込んで東京の街へと消えていった。一夜にして数十億円を稼ぎ出す男の威容だった。
今村がタイソンに会うのは2度目だったが、この時、なぜか、違和感を覚えた。
「何て言うんですかね……。ピカピカに輝いていたものが、パサパサになってしまった感じがしたんです」
その華々しい装飾とは裏腹に、なぜか、チャンピオンは乾いているように見えた。
この世で一番強いのはどんな男だろう?
今村が初めてタイソンを取材したのは1988年だった。デビューから19試合連続KO勝ちで全米に名を轟かせた“アイアン・マイク”はすでにヘビー級史上初めてのWBA、WBC、IBFの3団体統一王座に君臨し、5度の防衛に成功していた。モハメド・アリの後に登場したスターとして世界に知らぬ者はいなかった。
そんなスーパーチャンピオンのタイトルマッチが日本初の屋根付き球場、東京ドームのこけら落としイベントで行われることになったのだ。現在、NPBエンタープライズ(侍ジャパン)の社長を務める今村は当時入社4年目で、タイソンの密着ドキュメンタリーを制作することになった。プロ野球、箱根駅伝の中継などに関わり、社内のエース格となっていたテレビマンにとって待ち望んでいた大仕事だった。
「子供の頃から強い人間に対する憧れがあったんですよ。国籍や肌の色や体の大きさに関係なく、誰が世界で一番強いのか。それが知りたかった。だからヘビー級が好きだったし、ボクシングの側にいたかった」
まだ、海外のボクシングをテレビで観ることなどできない時代、周囲の人たちは日本人チャンピオンの試合に熱狂したが、今村は通販でアメリカのボクシング雑誌『The RING』を取り寄せていた。
この世で一番強いのはどんな男だろう?
少年時代からずっと抱き続けてきた思い。それを仕事にする瞬間がやってきた。