Number ExBACK NUMBER
佐藤勇人にとってオシムは今も絶対。
「情けなくもあるけど、正直な気持ち」
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph byTamon Matsuzono
posted2020/06/06 11:40
2005年11月5日、ジェフがクラブ初タイトルのナビスコカップを勝ち取った日の佐藤とオシム。
「ものすごく優しい人だったんだなと」
――今思い返すと、オシムさんとはどういう人でしたか。
「そうですねえ……。当時は本当に必死にやっていただけで余裕がなかったんですけれども、もの凄く優しい人だったんだなと今は思います。言うことは本当に厳しくて、『お前のせいで負けた』と名指しで言うし、汚い言葉も平気で使う(笑)。そのうえわがままですし、『何だこの人!』と思ってましたけど、やっぱり今思うと、あの人以上に選手だったりクラブだったりサポーターだったりのことを考えている人はいなかった」
――どんなところで、それを感じたのでしょう。
「あれだけ厳しい言葉をかける人ですけれど、『毎日選手から学んでいる』とも平気で言うんです。そういう言葉の選択や、選手に対してのアプローチの方法が凄かった。こっちが悔しくて泣きそうなくらいボロクソに言われるんですけど(笑)、実はそれを直接ではなく間接的にフォローしていたり、凄く考えてくれている。
クラブのことで言うと、当時のジェフは年に数回だけ国立競技場でホームゲームを主催していたんです。それは(収容人員の少ない)市原臨海だとお客さんがあまり入らないからで。それに対してオシムさんがもの凄く怒っていた。
自分たち選手からしたら国立でできるし、芝もピッチもいいからそんなに気にしていなかったんです。でもオシムさんは、なぜ自分たちのホームなのにお金のことばかりを考えて、浦和レッズや鹿島アントラーズのような強敵とわざわざ国立でやるんだと。
今から考えると凄いなと思いますね。クラブ全体の意識を変えようとしていた。目先のクラブの予算とかではなくて、選手のことやサポーターのことを考えてやっていきなさいと」