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怪我とうつ病に悩んだダイスラー。
救世主の“いま”は誰も知らない。 

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遠藤孝輔

遠藤孝輔Kosuke Endo

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photograph byGetty Images

posted2020/05/07 20:00

怪我とうつ病に悩んだダイスラー。救世主の“いま”は誰も知らない。<Number Web> photograph by Getty Images

ドイツサッカーの象徴、となるはずだったセバスティアン・ダイスラー。彼に平穏な日々が訪れていることを願いたい。

メラー、クリンスマンに心躍った。

 その後もドイツサッカーに傾倒していった僕は、1997年のトヨタカップで来日したドルトムントの攻撃的MF“アンディ”メラーのプレーに心躍らせ、'98年フランスW杯のイラン戦でユルゲン・クリンスマンが決めた執念のダイビングヘッドに狂喜乱舞。ローター・マテウスを通じてリベロの神髄を知ったような気もした。

 高校生になると、レンタルショップで借りた'74年W杯決勝の西ドイツ対オランダをテープが擦り切れるほど見直し、フランツ・ベッケンバウアーやゲルト・ミュラー(もちろんヨハン・クライフも)の時代にも思いを馳せた。

 僕らの世代にはエポックメイキングな出来事である2002年W杯も最高だった。無論、ドイツが下馬評を覆す大躍進を果たしたからだ。

 大会MVPを受賞するオリバー・カーンやゴールを量産したミロスラフ・クローゼが注目を集めたが、正直チームとしての人気はいまひとつ。新宿は歌舞伎町のパブリックビューイングで決勝を観戦した際、8対2くらいの割合でブラジルを応援している人が多いことに、ちょっぴり驚きもした。

カーンのまさか、そしてダイスラー。

 ブラジルに0-2で敗れたあの大一番は、忘れようにも忘れられない一戦だ。リバウドのシュートをキャッチミスし、ロナウドにこぼれ球を詰められたカーンのまさかは、掴みかけていた世界制覇の夢がはっきりとその手から離れていくシーンとして脳裏に焼き付いている。

 もし、オリバー・ノイビルのFKがゴールポストに嫌われていなければ、ミヒャエル・バラックが出場停止じゃなかったら、そもそもメーメット・ショルが怪我で大会自体を棒に振っていなければとか、試合後にあれこれと考えさせられたゲームでもある。

 中田英寿やジネディーヌ・ジダン、ロベール・ピレスにも魅了されたが、「私にとっての一番」の選手は当然ながらドイツ人プレーヤーになる。

 そのなかから1人を選ぶとすれば、キャプ翼のシュナイダーくんでもなければ、クリンスマンやマテウス、カーンでもない。1998年W杯とEURO2000で惨敗を喫し、ドイツサッカーの権威が失墜していた時期に頭角を現し、国民の期待を一身に背負ったセバスティアン・ダイスラーだ。

【次ページ】 俊足とクロス、FKすべてを兼備。

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