ドイツサッカーの裏の裏……って表だ!BACK NUMBER

怪我とうつ病に悩んだダイスラー。
救世主の“いま”は誰も知らない。

posted2020/05/07 20:00

 
怪我とうつ病に悩んだダイスラー。救世主の“いま”は誰も知らない。<Number Web> photograph by Getty Images

ドイツサッカーの象徴、となるはずだったセバスティアン・ダイスラー。彼に平穏な日々が訪れていることを願いたい。

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遠藤孝輔

遠藤孝輔Kosuke Endo

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『Sports Graphic Number』創刊1000号を記念して、NumberWebでも「私にとっての1番」企画を掲載します。今回は『ワールドサッカーダイジェスト』などで編集に携わり、ドイツサッカーに深い知見を持つ遠藤孝輔氏による、セバスティアン・ダイスラーについて。

 ドイツサッカーには特別な思い入れがある。

 きっかけは『キャプテン翼』だ。1984年早生まれの僕は「世代ど真ん中」ではないものの、5歳年の離れた兄の影響で、物心ついた頃にはスペクタクル満載のこのアニメの虜になった。公園や保育園の園庭でボールを蹴ろうものなら、きまってドライブシュートやカミソリシュートを猛特訓。あまりにも練習しすぎて、小学校への進学時には自分より強いシュートを打てる同年代の友だちが1人もいなかったくらいだ。

 そのアニメのなかで僕の心を掴んで離さなかったのが、ジュニアユース編の“ラスボス”西ドイツだ。

 なによりキャラクターの個性が際立っていた。

 翼の最大にして最強のライバルである“皇帝”カール・ハインツ・シュナイダーをはじめ、華麗なる司令塔フランツ・シェスター、なぜか咥えた楊枝を吐き出すと本気になるヘルマン・カルツ、そして“核弾頭”マンフレート・マーガスなど全員が魅力的。ほぼすべてのシュートを余裕で止めまくるデューター・ミューラーが登場し、「ドイツには物凄いGKがいる」と幼心に感心したのも覚えている。

 それから程なくして、Jリーグが産声を上げた。

浦和に現れたバインとギド。

 新旧問わず日本代表のスターが集結するヴェルディ川崎や横浜マリノス、ジーコ擁する鹿島アントラーズが人気を集めるなかで、キャプ翼で王道に惹かれなかった僕の"天邪鬼"が顔を覗かせる。生まれも育ちも東京の自分には何の縁もなかったにもかかわらず、とにかく弱くて仕方がなかった浦和レッズを好きになったのだ。

 そして、2人の名手を知ることになる。当時「Jのお荷物」とさえ揶揄されたレッズを変えた強力助っ人、ウーベ・バインとギド・ブッフバルトだ。

 無骨な表情からは想像もつかない繊細なパスでFW福田正博の決定機を演出しまくったバインも、対人戦に滅法強いだけでなくCBやボランチを主戦場としながらゴールに何度となく絡んだギドも周知のとおり、1990年のイタリアワールドカップで優勝した西ドイツ代表のレジェンドだ。

 まだ世界のサッカー事情なんて知らない少年だった僕の目には、アニメから現実の世界に飛び出してきたヒーローに映ったものだが、いまこうして振り返ると、バインとギドがリアルなドイツサッカーと自分を繋げる最初のプレーヤーとなった。

【次ページ】 メラー、クリンスマンに心躍った。

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