ドイツサッカーの裏の裏……って表だ!BACK NUMBER
怪我とうつ病に悩んだダイスラー。
救世主の“いま”は誰も知らない。
text by
遠藤孝輔Kosuke Endo
photograph byGetty Images
posted2020/05/07 20:00
ドイツサッカーの象徴、となるはずだったセバスティアン・ダイスラー。彼に平穏な日々が訪れていることを願いたい。
俊足とクロス、FKすべてを兼備。
ティーンエイジャーの頃から「世紀のタレント」と称されたダイスラーは、それこそすべてを兼ね備えた天才的なアタッカーだった。マイケル・オーウェン級のスピードを誇り、デイヴィッド・ベッカムに勝るとも劣らないクロスやFKを放った。
'90年代後半のヘルタ・ベルリンで彼を直接指導したユルゲン・レーバーは後年、「まだ19歳だっていうのに、60%の状態で他の連中の100%より良かったんだ」と回想している。ちなみに、レーバーは元ブラジル代表のドゥンガやジオバネ・エウベルなどの指導歴も持つ往年の名監督だ。
彼をあまり知らない方への紹介も兼ねて、ダイスラーのキャリアを少し紐解こう。
ドイツ南部の田舎町レーラッハで育った攻撃的MFは、Dユーゲント(U-12)で年間200ゴールを挙げた天才としてその名を轟かせ、96年夏に古豪ボルシア・メンヘングラッドバッハの下部組織に加入。わずか15歳で親元を離れることになった。
ブンデスリーガ・デビューは'98年9月で、翌年3月の1860ミュンヘン戦でファンや関係者の度肝を抜く。高速ドリブルで約60mを駆け抜け、左足の強烈なシュートを突き刺したのだ。
ベッケンバウアー級とまで絶賛。
ダイスラーを世に送り出し、「世紀のタレント」という枕詞をつけたフリーデル・ラウシュ監督は、プロデビュー間もない青年を「いずれ(フリッツ・)バルター、(ウーベ・)ゼーラー、ベッケンバウアーと同列で語られることになる」と絶賛し、その指揮官からバトンを受け取り、衝撃の初ゴールを目の当たりにしたライナー・ボンホフも「ダイスラーは何だってすることができる」と舌を巻いた。
しかし、このスーパータレントを擁しながらボルシアMGは2部に降格。'99年夏、ダイスラーはヘルタ・ベルリンへ移籍することになった。
首都クラブへの加入後も天才の勢いはとどまるところを知らなかった。すぐに右サイドハーフのレギュラーに定着すると、チャンピオンズリーグでのチェルシー&ミラン撃破に貢献。シーズン終了後、チーム最年少の20歳でEURO2000出場を果たした。
ドイツはこの大会でグループリーグ敗退を喫し、サッカー大国としての権威は地の底まで転落。チームの高齢化が進んでいたこともあり、若きダイスラーに「救世主」としての過度な期待が寄せられるようになった。