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契約延長ならイニエスタも仲間に?
Jで愛された大物外国人の共通点。
text by
茂野聡士Satoshi Shigeno
photograph byNaoki Nishimura/AFLO SPORT
posted2020/05/06 11:50
神戸とイニエスタとの契約期間は2022年1月まで。これからどんなプレーで我々を魅了するのだろうか。
3シーズン以上、Jでプレーした大物。
以下は欧州ビッグクラブでの主力になった、または強豪国での代表経験が豊富な選手において、3シーズン以上にわたって日本の公式戦に出場した選手をピックアップしてみた。なおカッコ内の「途」はシーズン途中での加入・退団である。まずは5シーズン以上にわたって活躍した選手を見てみよう。
<10シーズン>
ビスマルク
(V川崎'93途~96、鹿島'97~01、神戸'03途)
<8シーズン>
ストイコビッチ
(名古屋'94途~01途)
<7シーズン>
サンパイオ
(横浜F'95~98、柏'02、広島'03~04途)
フランサ
(柏'05途~10途、横浜FC'11途)
<6シーズン>
ポンテ
(浦和'05途~10)
<5シーズン>
エムボマ
(G大阪'97~98途、東京V'03~04途、神戸'04途~05途)
カゼミーロが日本へ来るようなもの?
ビスマルクは招集された1990年イタリアW杯で出場こそなかったが、通算13試合(1得点)の成績を残している。この実績クラスの選手が23歳で当時黄金メンバーのヴェルディに加わったのは今思うと驚きだし、その後も常勝・鹿島の礎を築いたのも納得である。
ピクシーことストイコビッチも、キャリアが下り坂になる前に日本に来てくれた1人。'90年W杯時点でイビチャ・オシム率いる旧ユーゴスラビア代表のエースだったが、グランパスに加わった29歳時点でもテクニック(とヤンチャな闘争心)は図抜けていた。
何よりピクシーにとって僥倖だったのは、在籍2年目にベンゲルという名監督と巡り合えたことのはず。戦術的ながらも選手の特性を生かすベンゲルの名が世界に知れ渡るのは名古屋を去った後のアーセナル時代だが、ワールドクラスの選手と指導者が同時にいたのは、Jリーグ史を見ても奇跡的な出会いだった。
当時CL常連だったレバークーゼンにてチームメートだったポンテとフランサ、そしてサンパイオといったブラジル人選手も味わい深い。特にフランスW杯前後のセレソンを目にしたサッカーファンにとって、サンパイオは「ドゥンガの相方」のイメージが強いだろう。
でも先日放映された横浜フリューゲルスの天皇杯決勝で、攻守両面に効いたボランチぶりに見とれた人も多いはず。そんなサンパイオがJにやってきたのは27歳の時。「セレソンで盤石のボランチ」と、無理やり現代のサッカーに当てはめてみると……カゼミーロ(現在28歳)が来たと想像したら、ひっくり返ってしまいそうだ。