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一度は東京五輪を「夢物語」と……。
内村航平なら1年延期を糧にできる。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byNaoto Akasaka/AFLO

posted2020/05/05 09:00

一度は東京五輪を「夢物語」と……。内村航平なら1年延期を糧にできる。<Number Web> photograph by Naoto Akasaka/AFLO

2016年5月5日、内村はNHK杯で8連覇を遂げた。その4年後に行われるはずの東京五輪は延期されたが、代表入りをあきらめてはいない。

「東京オリンピックは、夢物語ですね」

「東京オリンピックは、夢物語ですね」

 言葉にも、失意のほどがうかがえた。

 それでも、気持ちを取り戻していき、2020年を目指してきた。

 その過程で、変化もうかがえた。

 内村は今年3月に自身が立ち上げた大会を予定していた。「KOHEI UCHIMURA CUP 2020」である。選手自身が立ち上げプロデュースするという異例の大会である。

 中止を余儀なくされたが、企画した当初は、世界選手権代表から外れ、実戦の経験が不足することを回避するために自ら試合の場を求めて設けた、と伝えられていた。

満身創痍、注射を100本以上打った。

 そうした面はもちろんあっただろう。さらに、そこにとどまらない要素も加わっていった。

「体操の魅力を伝えたい」という思いだ。

 もともと、体操の地位向上、認知度の高まりへの意識は強くなっていたが、自身で立ち上げた大会でさらに高めたい、そんな思いが加速していった。

「僕は、いつも、皆さんに、美しくて、楽しくて、面白いと思ってもらえるような体操を届けたいと思っています」

 年を経るごとに、自身が打ち込んできた体操の魅力を広めたいという思いは強まっていった。そのためにも自身のパフォーマンスを取り戻したいという決意があった。

 満身創痍、実はそんな言葉があてはまる状況にあった。昨年は肩の筋肉をほぐし痛みを和らげるための注射を100本以上打った。以前は2、3カ月でおさまった痛みは、「1年ぐらい、気になるくらい痛いのが続く」状態だった。

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