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最近バルサは優等生すぎないか。
ライカールト時代の奔放な楽しさ。
text by
吉田治良Jiro Yoshida
photograph byGetty Images
posted2020/04/30 12:00
ロナウジーニョ、デコ、プジョル、ラーション……久々のCL制覇達成時のバルサは、かなりのカオスなチームだった。
危うさとアドリブの楽しさが共存。
ロナウジーニョをモチベートする方法についてそう語ると、現役時代と変わらぬ均整の取れた肉体をキープしていた指揮官は、こう続けた。
「一方で、ロッカールームにおいては彼自身が他の選手のモチベーターでもある。つまりロナウジーニョをその気にさせることは、チーム全体にとってもプラスになるんだ」
“笑顔の伝道師”ロナウジーニョに牽引された自由度の高いチームは、危うさを秘めながらも、アドリブの楽しさがちりばめられていた。
ペップはスターのエゴを許さず。
だが、ペップはそんなスターの奔放さを、一切許さなかった。2008年の就任会見で、「ロナウジーニョ、デコ、エトーの3人は構想外」と断言。選手の自主性を重んじたライカールトのやり方が、就任3年目あたりから限界を露呈していたのは確かだが、それでもその衝撃は大きかった。
夜遊び仲間だったロナウジーニョとデコを、伸び盛りのリオネル・メッシに悪影響を与えるとして容赦なく切ると、プレシーズンの猛アピールで残留したエトーも、1年後には放出されている。
クライフはストイチコフやロマーリオと、ファンハールはリバウドとさんざんやり合いながらも折り合いをつけた。ライカールトはロナウジーニョにたっぷりと自由を与え、才能をフルに引き出した。しかしペップは、何よりも規律とチームプレーを守るため、はなからスターのエゴと向き合うことを拒んだのだ。
「昨日今日、サッカーを始めたわけでもないのに」
微に入り細を穿ったペップの指導は、とりわけ外国人選手にとっては理解に苦しむ部分があったに違いない。葛藤しながらもサイドでのプレーを受け入れたティエリ・アンリのようなケースは稀で、メッシの引き立て役に甘んじることを頑として拒否したズラタン・イブラヒモビッチは1年でチームを去った。
誤解を恐れずに言えば、ペップが生み出した究極的な集団の美しさは、前にならえができずに列からはみ出した強烈な個を排除することで、成り立っていたのではないか。
大なり小なり、いつも問題を抱えていたけれど、奔放で、人間臭くて、どこか憎み切れなかったバルサは、ペップの下ですっかり優等生の集団になった。