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「僕が酔い潰れるまで赤の他人でした」ミラノ五輪で3つのメダルを獲得…スキージャンプ・二階堂蓮が明かした”妻との出会い”「いやいや、酒に飲まれました」
posted2026/03/11 17:00
ミラノ・コルティナ五輪のスキージャンプ・ノーマルヒルで銅メダルを獲得した二階堂蓮。父・学さん(左)と喜びをわかちあった
text by

雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph by
Tsutomu Kishimoto / JMPA
発売中のSports Graphic Number 週刊文春3/12臨時増刊号に掲載の[ジャンプ界の新船長]二階堂蓮「勝ち抜く経験をもっと」より内容を一部抜粋してお届けします。
小さい頃から「遠くまで飛びたいという憧れ」
ジャンプを始めた頃、練習に向かう車中で父がよく『パイレーツ・オブ・カリビアン』のテーマ曲を流していた。親子で一緒に観た映画で、ジョニー・デップ演じる主人公の海賊ジャック・スパロウを含めて、その世界観が大好きだった。
「すごい面白いキャラだなと思ってました。他の作品も含めて、ジョニー・デップが演じるのはどれも不思議なキャラが多いんですよね」
それと同時に、気分を盛り上げるために、巨大なフライングヒルを飛ぶトップジャンパーの動画をよく見た。シモン・アマン、トーマス・モルゲンシュテルンらが当時のヒーローだった。
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「小さい頃から大きい台を飛びたい、遠くまで飛びたいという憧れがありました」
3つのメダルを手に充実感をにじませる二階堂蓮。今季はW杯初表彰台、ジャンプ週間でのW杯初優勝、そしてこの五輪で完全にブレークスルーを果たした。
「楽しいっすね。今シーズンは大きくルールが変わったところがあって、そこに僕が調子を合わせて一気に成績を出せました」
初めての五輪にしては上出来だ、と言う24歳。そのジャンプ人生には、これまで何度か座礁の危機があった。
最初の危機「デスクワークは本当に苦手」
最初は下川商高卒業時。世代のトップの成績を残しながらも実業団から声がかからず、失意のあまり、競技をやめようかと考えた。東海大に進んだものの、コロナ禍での制限された学生生活、大の苦手である勉強と競技の両立は簡単ではなかった。結局、1年で中退。その時も1年間で所属先が見つからなければ引退するつもりだった。
その間、父の知人が数百万円にもなる遠征費を工面してくれ、生活費は自分で田植えや草刈りなどのバイトをして稼いだ。そして、周囲の尽力もあり、期限ぎりぎりで、スキー部を立ち上げた日本ビールの支援を受けられることになった。

