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40年前のインタビューから探る、
山下泰裕JOC会長「残念だ」の裏側。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byKYODO
posted2020/04/21 11:40
モスクワ五輪ボイコットに向けて状況が揺れるなか、1981年4月29日、山下泰裕は全日本選手権で圧勝した。
心が揺らいで練習に身が入らなかった。
しかし、参加を信じる気持ちはどう頑張っても徐々に薄らいでいき、稽古が苦しくなっていった。
米国オリンピック委員会が先鞭をつける形でボイコットを決めた4月12日は、全柔連にとってはちょうどモスクワ五輪2次選考会の当日。
金メダル候補の筆頭であった山下会長が報道陣から受けた質問は、当然ながら試合そっちのけだった。
「今までは行ける行けると思い込ませて頑張ってきたけれど、新聞を見ていると体協(現日本スポーツ協会)やJOCの方の発言がすごく悲観的なんです。そのころからだいぶぐらついてきましたね」
「ちょうど4月29日からの全日本選手権に備えて練習していたのですが、(中略)どうしても心が揺らいでなかなか練習に身が入らなかったですね」
金メダル候補たちの涙の会見。
松前重義・東海大学総長からは「僕らは五輪に行けるように精一杯努力している。安心して稽古に励んでくれと言われた」というが、なかなかそうもいかない。
このように様々な思惑が渦巻いていた4月21日に開かれたのが、金メダル候補たちの涙の会見だった。
レスリングの高田裕司らとともに出席した山下は、会見に先だって行なわれた会議で発言する場を与えられ、このようにスピーチした。
「私は今、自分の揺れる気持ちと必死に戦っている。ここ四、五日はケイコでも気合が入らない。そんなことではダメだ、と自分の心を奮い立たせている。小学校一年生の時、テレビで東京五輪を見て以来、あの感激を自分で味わうのが夢だった」
興奮のあまりうまく言えなかったというが、会議で言いたいことを言って吹っ切れたこともあり、4月29日の全日本選手権では圧勝し、大会4連覇を達成した。