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頑固な名将がセリエA最優秀監督に。
ガスペリーニは師匠直系の攻撃主義。
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byGetty Images
posted2020/04/18 11:30
クロトーネ、ジェノア、そしてアタランタ。ガスペリーニが率いたクラブはどれも魅力にあふれている。
ペスカーラ時代の斬新なスタイル。
来年傘寿を迎えるガレオーネは、1980年代後半から通算5シーズンにわたって指揮したペスカーラ時代にガスペリーニを指導した。今も「イタリアに“シャンパン・サッカー”を持ち込んだのはわしだ」と自負する。
「ガスペリーニを主力に据えたチームで昇格を果たして、最初のセリエAに挑んだのは1987-88年だよ。当時はマンマーク守備の全盛期だから、我々(ペスカーラ)のようにゾーンディフェンスを駆使していたチームは皆無だった。両サイドバックとウイングを上下左右に交錯させて、面白いようにサイドチェンジが決まったものだ」
ガスペリーニはいち選手でありながら、グラウンド内で監督然として振舞っていた。欲しかったのはベンチの代理権力ではなく、純粋にゲームの展開を楽しむ策士としての醍醐味だった。今や完成の域に達したアタランタの高機動・高連動サッカーは、当時のペスカーラにその原型があったといえる。
アッレグリよりも頑固者で不器用。
即興的で創造的なサッカーを愛したガレオーネは、ペスカーラの指揮官時代に優れた門下生を輩出した。
1958年生まれのガスペリーニを長兄的な一番弟子とすると、9歳年下のマッシミリアーノ・アッレグリ(前ユベントス監督)は“次男”で、アッレグリと同い年ながら世に出るのが遅かったマルコ・ジャンパオロ(前ミラン監督)は“末弟”にあたる。
今もガレオーネをサッカー界の父と慕う次男と三男は、毎年夏のバカンスになるとアドリア海にある師匠の別荘に集まり、ランチをともにする。
ただし、弟弟子たちほど師匠に甘えられない不器用な“長兄”は、この手の集いを苦手としている節があって、ガレオーネはガスペリーニを「こうと決めたら絶対に引かない頑固者」と評している。
ガスペリーニはユーベの育成部門で10年間研鑽を積んだ後、3部クラブ、クロトーネからトップチームの監督にと誘われた。南イタリアの辺境にある貧乏クラブでの初年度でセリエB昇格を勝ち取り、翌年から2季連続残留に導いた。
その頃、髪はもう現在のように真っ白になっていた。