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頑固な名将がセリエA最優秀監督に。
ガスペリーニは師匠直系の攻撃主義。
posted2020/04/18 11:30
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph by
Getty Images
年に一度、イタリア監督協会が主催する年間最優秀監督表彰は、「パンキーナ・ドーロ(=黄金のベンチ)」賞という呼称で知られている。
第一線の現場にいる約50人の同業者たちによる投票で決まるから、真の実力者しか評価されない。選出されれば、指導者大国イタリアで一生自慢できる大変な名誉だ。
今年2月初旬、2018-19シーズンの業績を高く評価されたアタランタの指揮官ジャン・ピエロ・ガスペリーニが同賞を授与された。指導者人生26年目にしての初受賞だった。
昨季のアタランタはシーズン最多77得点を奪う攻撃サッカーでセリエAを席巻、3位に入ってクラブ史上初のCL出場権獲得という快挙を達成した。今季も、初出場の同大会でベスト8進出を果たすなど、近年のガスペリーニの活躍は目覚しい。
指導者大国イタリアの頂点に立ったことで、今や同業者の誰もが彼へ畏敬の念を抱く。
“プロビンチャーレの名将”ガスペリーニの源流はどこにあるのか。
元祖“地方クラブの名将”が師匠。
現役時代、ガスペリーニは一流の選手だったとは言い難い。
いまでは真っ白な髪がまだ黒々としていた頃、1980~90年代のセリエBやセリエCの地方クラブが糧を稼ぐ場所だった。非凡なフィジカルや超絶テクニックの持ち主ではなかったし、強烈なシュートやタフな対人守備といった武器もなかった。
ただ、細かなパスワークと試合展開を読む能力、そして周りへ指示を出すスキルに秀でたところがあり、広いグラウンドを動き回りながらベンチの指示をわかりやすく届けてくれる実直なMFガスペリーニを、監督たちは重宝した。
1993年にペーサロという中部地方都市にある3部クラブで現役を引退した。その後、出身地のトリノに戻り、少年時代を過ごしたユベントス育成部門でコーチ修行を始めた。
影響を受けた指導者として、ガスペリーニは“Mr.ユベントス”マルチェロ・リッピや1970~80年代に地方クラブを渡り歩いた故エンリコ・カトゥッツィの名を挙げることもあるが、現役時代に直接薫陶を受けた師匠となると、元祖“地方クラブの名将”ジョバンニ・ガレオーネをおいて他にない。