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1000号記念、Number編集長座談会(下)
離婚、水着、家……珍企画と信頼関係。
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph bySports Graphic Number
posted2020/03/28 11:55
80年代から90年代初頭ごろまでは特集テーマがバラエティに富んでいた。左は78号(1983年6月20日)、右は250号(1990年8月20日)。
タヒチまで行って作った水着特集。
松尾「他にも『われらがスポーツ新聞は大人のおもちゃ箱だ』(20号 1981年1月20日)のようにスポーツ新聞特集なんかもやったことがあります。テレビ特集もスポーツ漫画特集もやった。'80年代はNumberが扱うジャンルを広げたいという思いがあって、『なんでもやってやろう』というのはあったと思います」
井上「水着特集もやっていましたね。当時、スポイラが美人モデルばかりつかって300万部刷って世界中で売っていた。Numberも日本版をやろうと言って、大特集や数ページの特集を作っていた。河野君も担当していたよね(笑)」
河野「水着特集は何度かやっていますが、たしかに一番最後にやったのが僕です(笑)。194号(1988年4月20日)ですね。なんとタヒチにまで行っているんです。
当時、タヒチに行くにはまずニューカレドニアに行って、ニューカレドニアで十数時間のトランジットがあって、それからオーストラリアに行って、それからようやくタヒチに行くというルートだった。それを往復するという……。
どうしてタヒチだったかというと、バブル期で余裕があり、スポンサーもついていたからです。梶原真弓さんというモデルさんを起用したのですが、彼女は後にシェイプUPガールズになっていました(笑)。
でも結局、『スポイラの水着コレクションにはかなわない』となって、これで最後になった。今見ると、恥ずかしくなりますね(笑)」
フロリダまで謝罪に行った。
井上「連載コラムでも変わり種はいろいろありましたが、個人的に思い出に残っているのは豊崎由美さんにお願いした『それ行け、トヨザキ!!』ですね。1年以上やって、本にもなりました。
私は'93年にNumberを出て、週刊文春に配属になって、外からNumberを見ていると、ものすごく『きれい』に見えて猥雑さが欲しいなと思っていた。
それでNumberに戻ってきたときに、豊崎さんにマイナースポーツなど、いろんなスポーツを観戦してもらって書いてもらうことにしたんです。ジャニーズ大運動会なんかも行ってもらいましたね。ただ、ときどき筆がすべることがあって、フロリダまで謝罪に行ったこともありました(笑)」