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ルーニー“帰還”でマンUサポ歓喜。
「白いペレ」に捧げた温かな曲。
text by
粕谷秀樹Hideki Kasuya
photograph byGetty Images
posted2020/03/25 11:00
ひげを蓄えてユナイテッド戦に臨んだルーニー。オールドトラッフォードのファンはその雄姿に喝采を送った。
ファーガソンは用意周到だった。
コンディションが万全に見えても、試合には投入しない。2004-05シーズン開幕後は、ベンチにすら入れないケースもあった。
完全実力主義者のファーガソンはクラブ内のヒエラルキーなど気にせず、力のある者にチャンスを与えて名将の地位を築いたが、ルーニーのデビューだけはやけに慎重だった。
しかし、サー・アレックスが用意周到だった、とも考えられる。なぜなら、ルーニーの移籍が決定したのは2004年8月31日の夕方。移籍市場が閉まる7時間ほど前のことだった。
試合から1カ月半ほど遠ざかり、新シーズンに向けたエバートンの練習にも数えるほどしか参加していない。ユナイテッドのトップチームで闘うだけのフィットネスは、明らかに不足していた。
しかもルーニーは太りやすい。練習メニューを少しでも軽くすると、せっかく落ちた体重が元に戻ってしまう。それでも彼は泣き言ひとつ口にしなかった。他の選手よりも厳しい練習に耐え、ただひたすら自分を追い込んでいった。
CLでいきなりのハットトリック。
そしていよいよ、デビューのときがやって来た。9月28日、チャンピオンズリーグのフェネルバフチェ戦である。
多くのメディアがヘッドラインに用いた「センセーショナル」という表現が陳腐なほどの衝撃だった。あるときは獰猛に、またあるときは細心に、デビュー戦でいきなりハットトリック!
ルーニーは一躍注目の的になった。このシーズンはプレミアリーグでも11得点・2アシスト。イングランドの、いや世界的なストライカーとして、その才能を輝かせるに違いないと、だれもが信じて疑わなかったのだが……。