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ルーニー“帰還”でマンUサポ歓喜。
「白いペレ」に捧げた温かな曲。
text by
粕谷秀樹Hideki Kasuya
photograph byGetty Images
posted2020/03/25 11:00
ひげを蓄えてユナイテッド戦に臨んだルーニー。オールドトラッフォードのファンはその雄姿に喝采を送った。
パク・チソンとともに幅広くカバー。
ルーニーの適性はシャドーストライカーだ。ルート・ファンニステルローイ、ディミタール・ベルバトフのように、ボールを収められるタイプの背後が最も生きる。
その一方でファーガソンが証言した(前述)ように、どのポジションも難なくこなすマルチでもある。C・ロナウドがユナイテッドに在籍していた当時は、攻め→守りの切り替えを苦手としていたこの男の周囲を、パク・チソンとともに幅広くカバーしていた。プレーエリアはピッチ全体、与えられたタスクは多岐に渡る。
しかし、ユナイテッドそのものが経済力でチェルシー、マンチェスター・シティに後れを取りはじめ、ビッグネームにとって興味の対象外になったことはルーニーにはダメージだった。
2009年夏、C・ロナウドがレアル・マドリーに移籍した後、だれもが納得する即戦力は誰ひとりとしてやって来ない。さらにスコールズが'13年に、さらに1年後にはギグスが引退し、チームは弱体化。ルーニーがすべてを背負うような状況になっていく。
もしFWに専念できていれば……。
借財にまみれたグレイザー・ファミリー(2005年にユナイテッドを買収)ではなく、経済的な余裕と中長期のプランニングに長けた組織がユナイテッドのバックについていれば、ビッグネームを惹きつけられたかもしれない。ルーニーのポテンシャルを存分に引き出すポストワーカーを獲得できたかもしれない。
その結果、ルーニーは適性と考えられるシャドーストライカーで、より多くのゴールを決めていた可能性は決して否定できない。ユナイテッドでの通算ゴールがクラブ最多の253得点だったとしても、FWに専念できていればあと50点は……300ゴールを超えられたのではないだろうか。
シーズン最多ゴールは2011-12シーズンの27得点。その後は度重なる負傷も影響し、20ゴールにすら届いていない。ユナイテッドも2012-13シーズン限りでサー・アレックスが退任すると、後任のデイビッド・モイーズ、ルイス・ファンハール、ジョゼ・モウリーニョは、いずれも周囲の期待を裏切るだけだった。