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ブラジル悪童フットボーラー更生記。
ロマーリオ議員、名解説エジムンド。
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byGetty Images
posted2020/03/23 20:00
セレソン、バルサなどで類稀な決定力を見せたロマーリオ。悪童ながらセカンドキャリアはしっかりとしている。
酒と女性に溺れ、49歳の若さで。
19歳でリオの名門ボタフォゴ(現在、本田圭佑が在籍している)のテストを受ける様子を見たブラジル代表左サイドバックのニウトン・サントス(クラブ最大のレジェンドで、ホームスタジアムには彼の名前が付いている。3月15日、本田圭佑がここでデビューした)が「こんな化け物とは絶対に対戦したくない。今すぐ取ってくれ」とクラブ役員に懇願したという。
たちまちレギュラーとなり、1958年のワールドカップ(W杯)にも招集された。大会前、代表ドクターは、「情緒が不安定。重要な試合では起用しない方がいい」と監督に提言した。しかし大会序盤、攻撃陣が不振を囲うと、監督はこの男と17歳のペレを揃って先発させる大バクチ。セレソンはこの若手2人の大活躍で快勝し、以後、彼らが攻撃の中心となって初優勝を遂げた。
1962年のW杯では大会序盤にエース・ペレが故障し、チームから離脱を余儀なくされる。この大ピンチにこの男がチャンスメイクとフィニッシュの両方の役割を担ってペレ欠場の穴を埋め、ブラジルが連覇を遂げた。
こうして国民的英雄となり、富と名声を手に入れた。しかし、慢心から酒と女性に溺れるようになり、浪費を繰り返す。アルコール依存症、病気、貧困に苛まれ、49歳の若さで亡くなった。
軋轢が日常茶飯事のロマーリオ。
ブラジルのフットボール史上、最大の「ワル」が、天才ストライカー、ロマーリオだろう。
小柄だが俊敏で、マーカーの逆を取るのがうまく、状況に応じて多彩なシュートを放つ。鼻っ柱が強く、大試合に無類の強さを発揮した。
その半面、練習嫌いで夜遊びが大好き。試合前日であろうが、深夜にチームの宿舎を抜け出して朝帰りをする。にもかかわらず、ピッチに立つと貴重なゴールを決めてチームに勝利をもたらした。
「俺の場合、遊んできた方が体が軽くなっていいんだ」とうそぶいた。
歯に衣着せぬタイプで、監督、チームメイト、クラブ幹部らとの軋轢は日常茶飯事。クラブの会長に「俺とあいつ(監督)とどっちを取るんだ」とすごみ、口うるさい監督を追い出したことがある。それでも、とにかく点を取るので、周囲は彼の我がままを黙認するしかなかった。