ツバメの観察日記BACK NUMBER
日本シリーズの死闘で7勝7敗。
野村克也と森祇晶、最後の勝負とは?
posted2020/03/18 11:30
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
KYODO
野村克也と森祇晶が知略の限りを尽くして臨んだ戦いがある――。
1992(平成4)年、そして翌1993年の日本シリーズ。ヤクルトスワローズを率いる野村は、いわゆる「ID(Import Date)野球」を掲げて若い選手が多いヤクルトを強豪チームに育て上げていた。一方の森が率いる西武ライオンズは、投打ともに充実の戦力を誇り、文字通りの黄金時代を謳歌していた。
かつて、両者にこの2年間の日本シリーズについて話を聞いたことがある。
すると、野村も、森も、異口同音に「長い野球人生において、ここまで頭を使った戦いはなかった」と口にした。ともに「知将」と称される両者にとっての「忘れられない戦い」こそ、この2年間の日本シリーズだったのである。
92年は西武が4勝3敗、そして翌93年はヤクルトが4勝3敗。2年間の対戦成績は全14試合で7勝7敗で、日本一にともに一度ずつ。まさに互角の死闘が繰り広げられていたのだ。
「森は慎重派だけど、僕はアバウトな性格」
生前の野村はこう語っていた。
「最初から西武に勝てるなんて思っていなかったから、こちらはできることは何でもやったよ。負けると思っていたから、“ヤクルトが4勝0敗で勝つ”なんて挑発したんだから。
森は慎重派だけど、僕はアバウトな性格。だから彼は絶対に弱いチームの監督はしない。でも、こっちはいい加減だから弱いチームばかり指揮してきた。
森にはいつもコンプレックスを抱いてきたね。向こうはどう思っているかわからないけど、ずっとライバルだと思ってやってきた」
世間は「似た者同士の対決」と騒ぎ立てる。
ともに野球を愛し、野球を追究し、深い哲理をめぐらせてきたのは共通だったが、両雄は「お互いに全然別の性格」と笑う。そんな両者が戦ったのが92年、そして93年日本シリーズだったのだ。