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日本シリーズの死闘で7勝7敗。
野村克也と森祇晶、最後の勝負とは?

posted2020/03/18 11:30

 
日本シリーズの死闘で7勝7敗。野村克也と森祇晶、最後の勝負とは?<Number Web> photograph by KYODO

92年10月27日、都内のパーティー会場で日本シリーズの健闘をお互いにたたえ合う森監督(右)と野村監督。

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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KYODO

 野村克也と森祇晶が知略の限りを尽くして臨んだ戦いがある――。

 1992(平成4)年、そして翌1993年の日本シリーズ。ヤクルトスワローズを率いる野村は、いわゆる「ID(Import Date)野球」を掲げて若い選手が多いヤクルトを強豪チームに育て上げていた。一方の森が率いる西武ライオンズは、投打ともに充実の戦力を誇り、文字通りの黄金時代を謳歌していた。

 かつて、両者にこの2年間の日本シリーズについて話を聞いたことがある。

 すると、野村も、森も、異口同音に「長い野球人生において、ここまで頭を使った戦いはなかった」と口にした。ともに「知将」と称される両者にとっての「忘れられない戦い」こそ、この2年間の日本シリーズだったのである。

 92年は西武が4勝3敗、そして翌93年はヤクルトが4勝3敗。2年間の対戦成績は全14試合で7勝7敗で、日本一にともに一度ずつ。まさに互角の死闘が繰り広げられていたのだ。

「森は慎重派だけど、僕はアバウトな性格」

 生前の野村はこう語っていた。

「最初から西武に勝てるなんて思っていなかったから、こちらはできることは何でもやったよ。負けると思っていたから、“ヤクルトが4勝0敗で勝つ”なんて挑発したんだから。
 森は慎重派だけど、僕はアバウトな性格。だから彼は絶対に弱いチームの監督はしない。でも、こっちはいい加減だから弱いチームばかり指揮してきた。

 森にはいつもコンプレックスを抱いてきたね。向こうはどう思っているかわからないけど、ずっとライバルだと思ってやってきた」

 世間は「似た者同士の対決」と騒ぎ立てる。

 ともに野球を愛し、野球を追究し、深い哲理をめぐらせてきたのは共通だったが、両雄は「お互いに全然別の性格」と笑う。そんな両者が戦ったのが92年、そして93年日本シリーズだったのだ。

【次ページ】 森が野村野球に恐れを感じた瞬間。

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