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世界で最も代打本塁打を打った男。
高井保弘の思い出と心に残る言葉。
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph byKyodo News
posted2019/12/18 10:30
代打に指名され、ホームランを放つ。その高揚感を世界の誰よりも多く体感したのが高井保弘だった。
高井さんについて知ったこと。
高井さんのことを思い出したのは、ステアーズがパドレス時代にも代打で4本塁打を記録し、代打での通算本塁打がクリフ・ジョンソン捕手/一塁手(アストロズほか)が持つメジャーリーグ記録20本を超えて、23本塁打に達した前後だったと思う。
日本に帰った折にパ・リーグの在阪球団を取材していた記者と話す機会があり、日本の「代打男」高井さんについていろんなことを教えて頂いたのだ。
ウエスタン・リーグで首位打者や本塁打王になり、なかなか一軍に定着できなかったものの、1972年に86試合に出場して15本塁打を放つと、そこから「代打の切り札」として通算27本塁打のプロ野球記録を作ったこと。
1974年に代打で6本塁打を放ったことが、翌年からの指名打者制度の導入に繋がったと言われていること。
1975年のロッテ戦で、金田留広投手から通算19本目の代打本塁打を放って18本塁打のジェリー・リンチ外野手が保持していた当時の代打本塁打数の世界記録を更新したこと(18本は今でもナ・リーグ記録だ)。
1977年から3年間は規定打席に到達し、後半の2年は連続で打率3割を超えるなど、実は長打力がありながらも、バット・コントロールに長けた選手だったこと等々――。
分かりやすい言葉が心に残るのか。
高井さんが亡くなられたと知って、即座に野球教室のことを思い出したわけだが、不躾な子供の頃の自分がガタイの良いプロ野球選手を見て、ファンでもないのに『代打=高井保弘』と思ったことが不思議と言えば、不思議な気もする。
記録のことなんて何も知らなかったはずの子供が、高井さんを「代打男」として記憶していたのはきっと、当時のメディアがそう伝えていたからではないかと思う。
代打男。代打の切り札。代打の神様と、日本のスポーツ新聞の見出しになるような言葉は、いろいろある。
安っぽいかも知れないけれど、とても分かり易い言葉こそが、野球ファン、とくに子供たちの心に残っていくのだろう――。