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甲子園優勝投手・吉永健太朗が引退。
1年前、彼は期待感を抱いていた。
posted2019/12/17 11:50
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Yoshikazu Shiraki
JR東日本の吉永健太朗を取材したのは、2018年の夏だった。
インタビューの最後に彼は言った。
その言葉は、誰かに宣言するというより、自分への誓いのように聞こえた。
「社会人で活躍して、またインタビューしていただけるように頑張ります」
1年後の今年12月に入って間もなく、野球専門サイトでこんな記事がひっそりと配信されていた。
「JR東日本・吉永が現役引退」
熱心な野球ファンであれば、世代を問わず吉永の名を一度は聞いたことがあるはずだ。
2011年、夏の甲子園。吉永は日大三のエースとして全6試合に登板し、全国の頂点に立った。高校卒業後は早稲田大に進学し、1年生の春に東京六大学リーグでいきなり4勝をマークしてベストナインに選出。日本選手権でも優勝の原動力となりMVPに輝いた。
求めたのは「いい時の自分」。
キャリアだけに目を向ければ、ここまでが吉永のピークだった。
大学2年になるとパフォーマンスは下降線をたどり、1年春に4勝を挙げながら大学通算は11勝。JR東日本に入社後は怪我にも悩まされ、全国の檜舞台である都市対抗野球と日本選手権を経験することはなかった。
注目度が高いプロとは違い、アマチュア選手の引退は記事になりにくい。にもかかわらず、吉永の引退が報じられるのは、それだけ彼の野球人生における「光と影」が、浮き彫りとなってしまったからなのだろう。
あえて影をクローズアップするならば、吉永はもがいた。失意の期間が長くとも、成長できると信じ、愚直に歩んだ。
スランプに陥る。物事がうまく進まなくなると、人は「いい時の自分」を振り返り、いつしか追い求めるようになる。
大学2年以降の吉永もそうだった。