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引退決意の坪井慶介が無名だった頃。
恩師が明かす大学時代の挫折と覚醒。
text by
石倉利英Toshihide Ishikura
photograph byJUFA/Reiko Iijima
posted2019/11/15 11:40
2001年当時の坪井慶介。乾監督のもと、大学4年間で大きな成長を遂げ、日本代表まで登りつめた。
ユニバーシアードの優勝に貢献。
失意の内に終わった海外遠征から1年後の春。坪井は覚醒の時を迎える。
'01年3月。各地域の選抜チームが集まって全日本大学選抜のメンバーを選考する『デンソーカップ・チャレンジサッカー』が行われた。九州選抜で出場した坪井は、各地域を代表するアタッカーとのマッチアップで素晴らしいディフェンスを披露する。
この年も全日本大学選抜のコーチだった乾氏は、坪井の好プレーを見ながらも“一度はダメだったから”と感じていた。しかし、周りの関係者は絶賛。同選抜の瀧井敏郎監督(東京学芸大監督=当時)も「これは選ばないわけにはいかない」と高く評価し、メンバーに選出した。
そのまま北京ユニバーシアードのメンバーにも選ばれた坪井は、CBのレギュラーとして活躍。DF平川忠亮、MF羽生直剛、FW深井正樹らとともに'95年福岡大会以来、2度目の優勝に大きく貢献する。
浦和の黄金期を支え、W杯にも出場。
無名の高校生は4年間を経て、5~6のJクラブから獲得オファーを受ける大学屈指のDFになった。'02年に加入した浦和では、1年目からリーグ戦全試合出場。2年目以降もナビスコカップ優勝('03年、現ルヴァンカップ)、J1セカンドステージ優勝('04年)、天皇杯優勝('05年)、J1初制覇&天皇杯連覇('06年)、AFCチャンピオンズリーグ優勝('07年)と、黄金時代に突入した浦和の最終ラインを支えた。
Jリーグベストイレブンに選ばれた'03年には日本代表デビューを飾り、'06年ドイツW杯にも出場した。四中工から福岡大への道を作った樋口氏は、「坪井のように身体能力が高く、人間性が優れている選手は、大学で経験を積むことで伸びていくと思います。でも、W杯に出る選手になるとは想像できませんでした」とあらためて驚く。
'14年限りで浦和を離れ、'15年から湘南、'18年からは山口でプレーし、今年9月には40歳となった。夏には「まだまだ体は動きますよ」と笑顔で語っていたが、11月7日に現役引退を発表する。