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心臓手術を乗り越えた武田英二郎。
横浜FCの中間管理職が感じる恩義。 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byTakahito Ando

posted2019/10/18 15:00

心臓手術を乗り越えた武田英二郎。横浜FCの中間管理職が感じる恩義。<Number Web> photograph by Takahito Ando

試合終了後、イバ(右)とじゃれ合う武田英二郎。偉大な先輩と活きのいい後輩たちを繋ぐ存在として重宝されている。

武田を襲った突然の病。

 今から4年前の2016年、武田は湘南ベルマーレで2年目のシーズンを迎えていた。この時、彼に大きな異変が起こった。4月6日のナビスコカップ(当時)の大宮アルディージャ戦、開始5分で呼吸が早くなり、徐々に動けなくなった。

「1回スプリントしただけなのに、まるで10~20本のダッシュをやった後のような状態になったんです」

 この試合は何とか55分までプレーをしたが、4月20日のナビスコカップのジュビロ磐田戦では、35分での交代を余儀なくされている。

「ジュビロ戦の直後に病院で検査をしたのですが、何も異常がなかった。でもそれ以降、たまにこの動悸が発作のように起こるようになって……。そのシーズンは何とか乗り切ったのですが、翌シーズンは頻度が増して発作が起こるようになったんです」

 '16年、'17年はともにリーグ戦1試合出場のみに止まり、'17年の唯一の出場とリーグ戦では「ラストチャンスと思って出場した」が、開始10分で息が上がった。84分までプレーはしたが、ミスを連発。ベストとは程遠い出来だった。

 より精密な検査を受けると、不整脈があることが判明した。

復帰を支援してくれた古巣ベルマーレ。

「心房細動、心房粗動の2つの病気があって、それによって運動誘発性不整脈が出ていたんです。それを治すには手術しかないと。2017年は契約の最終年。(当時の湘南は)若い選手も多いし、自分は試合に出ていないので、今年が最後だと思っていた。その中で病気がわかったので、『ああ、今年までだな』と覚悟しました」

 引退の2文字も頭をよぎりながら、彼は8月に心臓カテーテル手術を行った。手術は無事に成功、10月には復帰をしたが、そのまま出番は訪れず、チームからは契約満了が告げられた。

「チームに貢献できていない僕が契約満了になるのはプロとして当然のこと。でも、ベルマーレは治療費の面倒も見てくれて、『もし次のクラブが決まらなかったら、決まるまで練習に参加をしてもいいよ』とも声をかけてくれた。本当に心から感謝している」

 そんな彼に真っ先にオファーを出したのが横浜FCだった。横浜FCは武田に対して、'17年シーズン終了後に、若手の練習試合に参加をさせてくれただけでなく、彼がトライアウトを受ける時も熱心に追いかけてくれていたのだった。

「29歳で戦力外になって、かつ心臓を手術して、ほとんど試合に出場していない。そんな選手は誰も見向きもしないはずなのに、横浜FCは僕を拾ってくれた。引退も考えていたけど、練習試合とトライアウトは人生を懸けてプレーした。それを見てくれていたことが本当に嬉しかったし、プロとしてプレーを続けさせてくれるクラブには感謝しかなかった」

【次ページ】 どん底から見たベテランたちの姿。

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