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MGCは日本マラソン最高の名勝負に。
瀬古利彦「設楽くんのおかげです」。
text by
涌井健策(Number編集部)Kensaku Wakui
photograph byNanae Suzuki
posted2019/09/28 11:30
神宮外苑の芝生広場でのパブリックビューイング。先頭を走る設楽が映し出される。
瀬古さんのレースを超えましたか?
さらに瀬古リーダーは、設楽と井上の2人は完走したものの、「今日は実質的には42kmを走りきってない。井上くんなんか半分くらいで勝負が終わっている。でも、大迫くんは最後まで競って出しきってますから」と、MGCにおける肉体へのダメージの違いを指摘した。
MGC、ファイナルチャレンジのひとつである来年3月の東京マラソン、8月の東京五輪とプレッシャーのかかるレースを続けて闘うことの難しさを強調していた。公平な視点を保ちつつも、早稲田大学の後輩でもある大迫を、「彼の存在がいまの男子マラソンに大きな刺激になっている」と評価してきたレジェンドの思いが滲む言葉だった。
そんな瀬古リーダーの声が、ひときわ明るくなったのは、こんな質問をしたときだ。
――MGC、「マラソン名勝負」として瀬古さんのレースを超えましたか?
男子マラソン黄金期のスターとして。
40代以上の方々にとって日本マラソンの「黄金期」と言えば、瀬古、宗兄弟、中山竹通らが鎬を削った1970年代後半から1980年代を思い浮かべるだろう。特に瀬古はラストスパートを武器にしていたため、最後までもつれる展開になることが多く、いくつもの名勝負を演じてきた。
特に伝説になっているのが、2回の福岡国際マラソンだ。1979年は宗兄弟とのラスト400mのトラック勝負を制し、1983年はタンザニアのジュマ・イカンガーを最後の直線でかわして優勝。
五輪出場権のかかった年のこの2レースは日本マラソン界で語り継がれており、誰もが認める名勝負だろう。
今回、40kmからのラスト2.195kmのタイムは、優勝した中村が6分18秒、服部が6分22秒、大迫が6分26秒。1983年に瀬古がイカンガーを振り切ったときのタイムが、服部と同じ6分22秒だったというから、最後の競り合いという意味では、黄金時代以上の勝負が繰り広げられたということになる。