スペインサッカー、美学と不条理BACK NUMBER
メッシよりも、久保建英よりも速く。
バルサが驚いた16歳ファティの軌跡。
text by
工藤拓Taku Kudo
photograph byGetty Images
posted2019/09/05 11:40
ベティス戦でクラブ史上2番目の若さでデビューすると、翌週にはクラブ最年少ゴールを塗り替えたファティ。かつては久保建英とともにプレーしていた。
出場禁止を喰らい、重傷も経験。
それからアンスは2シーズンに渡って地元クラブのCDFエレーラでプレー。2010年にはセビージャの下部組織に引き抜かれ、その1年後にはレアル・マドリーとバルサが争奪戦を繰り広げるほど、その名を轟かせるようになる。
そうなるともう、アンスの成長を止められるものは存在しなかった。
セビージャ時代には、バルサと移籍交渉を行ったことがホセ・マリア・デル・ニド会長の逆鱗に触れ、1年間も公式戦の出場を禁じられる厳罰を受けた。
バルサ移籍後も、久保建英が帰国を強いられる原因になった未成年選手の国際移籍違反により、数カ月に渡って実戦の場を奪われた。脛骨と腓骨を骨折する重傷を負い、10カ月近くの離脱を強いられたこともある。
久保建英とタイトル総なめ。
しかし、たとえ何度プレーの場を奪われようとも、アンスが輝きを失うことはなかった。
10歳で加入したバルサでは、1歳上の久保と共にプレー。1年目のアレビンA(U-12)ではアンスが56ゴール、久保が73ゴールを量産する活躍で国内外のタイトルを総なめにした。
その後も飛び級に次ぐ飛び級を重ね、昨年はフベニールA(U-19)の一員としてUEFAユースリーグで活躍。今夏はバルサBのプレシーズンに参加していたが、怪我人が続出したトップチームに抜擢され、バルサBでの公式戦デビューより先にカンプノウのピッチに立ってしまった。
「ものすごく緊張したよ。今はみんなへの感謝の言葉しか出てこない。クラブ、監督、温かく迎え入れてくれたファンにもね」
カンプノウ・デビューを果たしたベティス戦後、アンスはあどけない笑顔を浮かべながら「感謝」という言葉を何度も口にした。
その1週間後。初ゴールの喜びを問われた際には「最初は入ったと思っていなくて、『うわあ、入っちゃった』と驚いたよ」と笑った後、「初ゴールには満足しているけど、勝てなかったので少し悲しい」と付け加えた。