スペインサッカー、美学と不条理BACK NUMBER
メッシよりも、久保建英よりも速く。
バルサが驚いた16歳ファティの軌跡。
text by
工藤拓Taku Kudo
photograph byGetty Images
posted2019/09/05 11:40
ベティス戦でクラブ史上2番目の若さでデビューすると、翌週にはクラブ最年少ゴールを塗り替えたファティ。かつては久保建英とともにプレーしていた。
世界最貧国で育った次男坊。
2002年10月31日。アンスは6人兄弟の次男坊として、西アフリカのギニアビサウ共和国に生まれた。
長らく奴隷貿易の中継地としてポルトガルの支配を受け、1974年の独立後も泥沼の内戦が続くこの大西洋沿いの小国は、産業と呼べるものをほとんど持たない世界最貧国のひとつと言われている。
そんな国に生まれたアンスの父ボリ・ファティはフットボールのセミプロ選手だったが、妻が長男ブライマを身ごもった1998年に現役を引退。ほどなく家族を養うため、単身ポルトガルに出稼ぎに渡った。
2001年にはスペイン・アンダルシア州の田舎町エレーラへ移り、高速鉄道の線路工事作業員の職に就いた。並行して大工やウェイター、ごみ収集作業員などを務めた末、市長のお抱え運転手の職を手に入れ、家族を呼び寄せる目処が立ったのは2008年のことだ。
父親も驚いたファティの才能。
エレーラへの移住後ほどなく、当時6歳のアンスは兄のブライマと共に近所のフットボールクラブを訪れた。それまで靴下を丸めて作ったボールしか蹴ったことがなく、裸足に水泳パンツという出で立ちで現れたその少年は、その場に居合わせた人々の度肝を抜くプレーを見せつけたという。
面白いのは、それまで離れて暮らしていた父親が息子の才能に全く気づいていなかったことだ。
「ギニアでプレーしていたことすら知らなかったんだ。恐らく通りで蹴っていたくらいだと思うが。プレーしたい、グラウンドに連れて行ってくれと言われていたんだが、家族を迎え入れたばかりの当時はやることが山積みで、時間がなくてね。ある日仕事を終えて家に戻ると、家の前に集まっていた近所の人たちから言われたよ。『お前は見てないのか。あの子はクラブでプレーさせるべきだ』とね」