フランス・フットボール通信BACK NUMBER
なぜ欧州覇権はセリエからリーガに?
時代を変えた、ジダン移籍の裏話。
posted2019/08/25 20:00
text by
ロベルト・ノタリアニRoberto Notarianni
photograph by
Franck Nataf/L'Equpe
『フランス・フットボール』誌の夏季集中連載・シリーズ「移籍」の第4回(7月19日発売号)で取り上げているのは、2001年におこなわれたジネディーヌ・ジダンのユベントスからレアル・マドリーへの移籍である。
7620万ユーロという当時の移籍金記録を大幅に更新したこの移籍は、単にその金額の大きさにばかり注目が集まったわけではない。レアルのフロレンティーノ・ペレスが会長選挙の際に公約として掲げた、世界最高の選手を毎年ひとりずつ獲得する――銀河系軍団形成が本格的に始まったこと。そして何よりも、1990年代を通じてヨーロッパサッカーを支配したイタリア・セリエAから、スペイン・リーガ・エスパニョーラにヨーロッパのヘゲモニーが完全に移行したことを、全世界に知らしめた移籍でもあった。
スムーズな移籍ではなかった。ユベントスとジダンの間には、今も完全には明らかになっていない軋轢が存在した。ロベルト・ノタリアニ記者がその真相に迫っている。
監修:田村修一
ジダンの野心と欧州サッカーの勢力図。
ジネディーヌ・ジダンにとっての一生に一度の決断は、レアル・マドリーの銀河系軍団形成という大きな野心と一致した。
ジダンは心機一転してユベントスから離れることを望み、すべての流れは2001年夏の記録的な移籍へと傾いていった。だがそこにいたるまでの過程はちょっとした喜劇であり、事態は混乱を極めたのだった。
その考えを最初に抱いたのはいったい誰だったのか?
まるで倦怠期を迎えた夫婦のように、お互いが過ちを相手のせいにする。
「移籍はジダンがひとりで勝手に決めたことだ」
2001年夏のレアル・マドリーへのジダン移籍に激怒したユーベのティフォジたちに、クラブのゼネラル・ディレクターであったルチアーノ・モッジはそう叫び声をあげた。
移籍に際して、ユベントスの経営陣側の怒りは頂点に達しようとしていた。モッジはユベントスが、どうしてジダンと袂を分かたねばならなかったのかを説明する必要に迫られた。しかもその行き先は、チャンピオンズリーグでユーベに幾度となく煮え湯を飲ませてきたクラブである。レアルは1年前に、自身8度目となるタイトル獲得記録を更新したばかりか、'98年決勝でもユベントスを破って優勝していたのだった。