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山本尚貴はF1シート獲得を諦めない。
レッドブル重鎮に現れ始めた変化。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byMamoru Atsuta (Chrono Graphics)
posted2019/08/26 18:00
ドイツGPを訪れた山本。F1マシンをドライブするチャンスは訪れるだろうか。
気負ったマクラーレンのテスト。
「セナがダンロップでショートカットして止まって、歩いてピットに戻るときに手を振っていた姿は、もちろんいまでも覚えています。でも、それ以外にも、あの週末のことは忘れられない思い出として、大切に心の中にしまってあります。というのも、当時の日本はF1がすごく人気があって、日本GPのチケットはプラチナチケットだったのに、僕がどうしてもセナを見たいと言っていたこともあって、ホンダと関係する仕事をしていた父が、なんとかチケットを2枚、手に入れてくれたから。
初めて母と離れて、父と男2人で宇都宮から電車で鈴鹿に行きました。名古屋でお寿司を買って、近鉄電車の中で食べながら鈴鹿へ。F1を見に鈴鹿に行ったあの日が、僕にとってF1ドライバーになりたいと思った最初のきっかけだったかもしれません」
ただし、'13年にマクラーレンでのテストを受けたのは、山本だけではなかった。チャンスをつかもうとした山本は、逸る気持ちを抑えきれず、自分を見失ってしまった。「何が何でも、この中で一番になろうとする気持ちが強すぎて、空回りしてしまいました。普段の自分の力以上のものを出してやろうって……」
シミュレーターに乗った後は、フィジカルトレーニングを行い、ドライビングコーチとのコミュニケーションを通しての語学力のレッスンなど、いくつかのテストを受けた。しかし、マクラーレンからホンダへ送られた山本のテスト結果は、不合格だった。
国内二冠で再び訪れたチャンス。
だが、山本の心の中から「F1」という二文字が消えることはなかった。マクラーレンでのテストに落ちた山本は、次のチャンスをつかむため、もう一度、国内のレースに集中した。
ドライビングテクニックはもちろんのこと、次にテストを受けるときには自分の力を100%発揮できるよう精神力も鍛えた。
テスト不合格から5年後の'18年、山本は国内レース最高峰の二冠に輝き、再びチャンスが訪れた。25歳だった若者は結婚し、二児の父親になっていた。
レッドブルのシミュレーターテストを受ける山本に、もう焦りはなかった。