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山本尚貴はF1シート獲得を諦めない。
レッドブル重鎮に現れ始めた変化。
posted2019/08/26 18:00
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
Mamoru Atsuta (Chrono Graphics)
F1ドイツGPが始まる直前の7月中旬、ひとりの日本人ドライバーがレッドブルのシミュレーターに乗った。
昨年、国内フォーミュラの最高峰であるスーパーフォーミュラと、それと並ぶ国内最高峰の自動車レースであるSUPER GTの2つのカテゴリーでチャンピオンに輝いた山本尚貴だ。
山本は2006年にホンダが100%出資している鈴鹿サーキットのレーシングスクールである「鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(SRS-F)」に入校し、成績優秀者としてスカラシップを獲得したドライバー。現在ホンダがF1でレッドブルとトロロッソの2チームにパワーユニットを供給していることから、レッドブル側がホンダの育成したドライバーに興味を持ち、自チームのシミュレーターに乗せることとなった。
山本がF1チームのシミュレーターに乗るのは、今回が初めてではない。じつは6年前の'13年にも山本は渡欧し、イギリスでシミュレーターに乗っていた。マクラーレンと組んで'15年シーズンからのF1復帰を'13年5月に発表していたホンダが、その年のスーパーフォーミュラでタイトルを獲得した山本をマクラーレンへ送り込み、F1を目指してヨーロッパでレース活動ができるかどうかのテストを行ったのだ。
セナが最後に走った鈴鹿での記憶。
マクラーレンは山本にとって、特別なチームだった。「父親がF1を大好きで、僕も一緒にテレビ観戦していました。父と同じように僕も(アイルトン・)セナを応援していました」
セナが初めてチャンピオンに輝いた'88年に生まれた山本は、4歳のとき初めてサーキットでF1を観戦した。'92年の日本GP――カーナンバー1番をつけたマクラーレン・ホンダにセナが乗って走った最後の鈴鹿だった。そのレースでセナはわずか3周でリタイアしたが、4歳の山本はそのときの光景をいまでもしっかりと記憶していた。