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運命の馬で“夢”を叶えた名物馬主。
キズナ産駒と武豊でダービーを。
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph byHideharu Suga
posted2019/08/18 08:00
「ディープインパクトそのままの走り方でした」。佐々木調教師はかつてのキズナを見て“大物の予感”がしたと振り返る。
牧場をつくってから29年で悲願達成。
チームノースヒルズにとっては、8度目の参戦、12頭目の出走馬で勝ち取ったダービー初勝利であった。前田代表は言う。
「ダービー初出走から21年、牧場をつくってからは29年かかりました。夢のまた夢だったダービーを勝ってから1週間ほどは、ボーッとしてしまいました。リスクはあっても、自分でつくった馬で勝つのは、買った馬で勝つより3倍も4倍も嬉しい。これぞオーナーブリーダーの醍醐味です」
佐々木師は4度目の参戦で初戴冠。
「最後のチャンスだと思っていたのですが、勝つともう一度勝ちたくなりました。表彰式でコースからスタンドを見て、すごい数の人がいた光景は忘れられません」
秋、キズナはフランスに遠征し、海外初戦のニエル賞で英国ダービー馬ルーラーオブザワールドらを下して優勝。凱旋門賞ではトレヴの4着に敗れたが、世界最高峰の舞台で力を見せた。
2014年の天皇賞・春での骨折。
翌2014年、凱旋門賞以来となった大阪杯で同世代の菊花賞馬エピファネイアらを寄せつけず圧勝。しかし、つづく天皇賞・春では断然の1番人気に支持されながら4着に敗れた。レース中に発症した可能性のある左前脚の骨折が明らかになった。
「中間手根骨の骨折でした。手術した獣医師から『能失(競走能力喪失)でいいですか』と言われたほどの症状でした。復帰してからも、骨がひとつ足りていないような状態でした。何とか無事にという仕上げが精一杯で、納得できる調教はできず、絞り切れなくなってしまいました」
そう佐々木師が話したとおり、2015年の京都記念で復帰したときの馬体重はプラス22kgの514kgだった。大阪杯2着、天皇賞・春7着と本来の走りができず、秋、右前繋部浅屈腱炎を発症。現役を引退し、翌年から種牡馬となった。
前田代表と佐々木師と武は、「キズナは特別なものを持っている」と口を揃える。パドックや馬道では気合を表に出してうるさくても、ゲート入りが近づくにつれて集中し、おとなしくなる。そして直線で鋭く伸び、ゴールする瞬間最高速に達する。卓越した競走能力で、関係者に初めての栄冠をプレゼントしながら、人々を感動させる。