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運命の馬で“夢”を叶えた名物馬主。
キズナ産駒と武豊でダービーを。
posted2019/08/18 08:00
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
Hideharu Suga
Number978号(2019年5月16日発売)の特集記事を全文掲載します!
平成の時代に行われた日本ダービーは30回。そのうち10回をノーザンファームの生産馬(1996年フサイチコンコルドを含む)が勝っている。特に、昨年まで4連覇を達成するなど、「ノーザンファーム一強時代」を象徴する結果がつづいている。
そんななか、繁殖牝馬がノーザンファームの10分の1以下の60頭ほどの規模でありながら、2013年と翌2014年のダービーを連覇したオーナーブリーダーが存在する。大型プラントの設計・保守・エンジニアリングを行う「アイテック株式会社」会長の前田幸治氏が代表をつとめるノースヒルズである。
そのノースヒルズの生産馬として初めて「競馬の祭典」で頂点に立ったのは、武豊を背にしたキズナであった。
高齢牝馬から生まれたキズナ。
キズナは2010年3月5日、新冠のノースヒルズで生まれた。
父ディープインパクト、母キャットクイル。15歳上の半姉に、ノースヒルズ生産馬として初めてGIホースとなったファレノプシス、11歳上の半兄にアメリカの重賞ピーターパンSを制したサンデーブレイクがいる超良血だ。が、このとき母キャットクイルは20歳になっていた。
「高齢の牝馬はいい仔を産まないと言われていますが、そうした固定観念に縛られずにディープインパクトを配合できたのは、素人から始めた者の強みです」
そう話す前田代表に指名され、管理者となることが決まっていた佐々木晶三調教師が初めてキズナを見たのは、生後1カ月経つかどうかのときだった。
「素晴らしい馬でした。体がしっかりしているし、雰囲気もオーラもあった。『これで男にならなかったら、ぼくは最悪の調教師です』と前田代表に言いました。『男になる』とは、ダービーを勝つということです」
生後半年ほどで見せたキャンター(駈歩)も、並の馬にはない軽やかさだった。姿形も動きも美しく、気品があった。