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金鯱賞3連覇、GI2勝の名馬タップダンスシチーを覚えているか? “変わった子”と言われた騎手・佐藤哲三との“名コンビ”誕生秘話
posted2022/03/12 06:00
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph by
AFLO
今週末、金鯱賞(GII、中京競馬場、芝2000メートル)が行われる。
このレースが3月の中旬に行われるようになって今年で6年目。以前は年の暮れに行われたり、5月に開催されたり、施行時期が何度も変わってきた。そんな5月の下旬に行われていた時、3連覇を果たしたのがタップダンスシチー(栗東・佐々木晶三厩舎)だ。
3連覇をしたのは2003~2005年。2003年にはジャパンC、2004年には宝塚記念を優勝し、秋には勇躍フランス遠征。凱旋門賞にも挑戦(結果は17着)するこの馬の第一印象を、管理した佐々木調教師は次のように述懐した。
一目見て「兄(クリプトシチー)よりも走りそう」
「兄(クリプトシチー)もやらせていただいたのですが、ひと目見て、兄より走りそうだと感じました。だから自分から『私にやらせてください』とお願いしたんです」
1998年にデビューしたクリプトシチーは2000年に引退するまでに3勝をあげた。準オープンは勝てなかったものの2着好走があった。それよりも走ると感じたのだから、オープン級、重賞クラスと思ったという事だろう。
ところが実際に厩舎に来る頃になると、1つの大きな課題が露呈した。
「気性が荒くて、手を焼きました。それでも何とかデビューにこぎつけられるところまで来たと思ったら曳き運動の最中に大暴れをして舌を切ってしまいました」
これでデビューが半年延びたばかりか他馬を怖がるようになってしまったと言う。
更に誤算があった。
「装鞍をするとカッカして普通に歩けなくなり、名前の通り“タップ”を踏むような歩様になってしまいました」
転機となった“哲っちゃん”との出会い
競馬だけでなく、調教時もそんな感じだった。だからデビュー戦では9着に大敗したし、2つ目を勝ち上がるまでに9戦、3勝目は更に8戦を要した。3勝目をあげた頃にはデビューから丸2年近くが過ぎていた。
転機が訪れたのは2002年だった。函館記念に出走したタップダンスシチーはヤマニンリスペクトの8着に敗退。この時、手綱を取った四位洋文騎手(現調教師)に、佐々木調教師は次のように言われたと語る。
「こういう馬は“哲っちゃん”が合っていると思います」