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もがき苦しむ東京五輪のエース候補。
小川航基の“多彩さ”は水戸で輝くか!?
posted2019/07/23 11:50
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
「今年ジュビロで試合に出られなかったら、オリンピックはないと思った」
相当な覚悟の移籍だった。
7月14日、東京五輪世代のストライカー・小川航基が、高校卒業から約3シーズン半過ごしたジュビロ磐田から水戸ホーリーホックに育成型期限付き移籍したことを発表した。
彼にとってプロになって初めての移籍。当然、葛藤はあったが、それ以上に危機感の方が大きかった。
小川は桐光学園高校時代から186cmの長身を生かした空中戦の強さだけでなく、足元の技術とスピードに優れたストライカーとして注目を集めていた。クロスからのワンタッチシュート、左右どちらからも放たれる正確なシュート、ドリブルから持ち込んだシュート、裏への抜け出しからのシュートと、ゴールを決めるアプローチは多彩だ。
だが、鳴り物入りで磐田に入団した2016年以降、プロの壁に苦しんだ。ルーキーイヤーはリーグ戦出場ゼロ。2年目はリーグ5試合出場もノーゴール。昨年は13試合に出場するが、1ゴールのみに留まっていた。
大怪我も重なり、焦りが募る日々。
その間、世代別の代表では2017年のU-20W杯でエースとして出場。初戦の南アフリカ戦でゴールを決めるなど、抜群の存在感を放っていた。
しかし、第2戦のウルグアイ戦で左膝の前十字靭帯断裂および半月板損傷の大怪我を負い、長期離脱を強いられてしまうなど、不運も重なった。
「東京五輪の不動のエース」として期待されていた存在だったが、前田大然、上田綺世など強烈なライバルが台頭していく姿を目の当たりにし、徐々に強烈な危機感を募らせていく。その中でも磐田での成長を望んだ小川だったが、「オリンピックを懸けた1年」と位置付けた今季においても、思うように出番が得られなかった。
「まだ巻き返すチャンスはあると思った。その巻き返しの1つが環境を変えるということでした」