サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
平成日本サッカーの夜明け(1)
1992年の西野朗と韓国の高い壁。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byAFLO
posted2019/04/27 10:30
アトランタ五輪出場権を獲得したサウジアラビア戦の川口能活。彼らの強化は1992年ユース代表から始まっていた。
グループ2位、準決勝の相手は韓国。
9カ国が集ったアジアユース決勝大会の初戦で、日本はインドと激突した。西野も選手たちも、初めて対戦する相手である。現在のように事前に映像を入手し、スカウティングすることもできていない。
「レベル的に日本より上なのか下なのか、どういうシステムでどういうサッカーをするのかなど、戦力的な情報が手元になかった」と西野は語る。いずれにせよ、開催国のUAE、イランを含めた4カ国のグループリーグで2位以内を確保し、準決勝へ進出するためには白星スタートを飾りたい。手探りのまま挑みながらも、日本は2-0で勝利した。
第2戦ではイランを2-0で退けた。最終予選は中東勢との戦いになるとの想定から、西野は7月にテヘランで行われた2次予選を視察していた。インド戦とは対照的に、事前の分析が奏功した。
UAEとの第3戦を0-2で落とし、日本はグループ2位で準決勝へ進出する。対戦相手は韓国だ。5カ国で争われた別グループを、ライバルは首位で通過してきた。
当時、ワールドユースのアジア枠は2だった。
1次予選前に「日本戦は選手がナメてしまって、気持ちが燃えないんだよ」と話していた韓国の監督は、前線からのプレスを徹底したグループリーグと戦い方を変えてきた。自陣にブロックを敷いたカウンターサッカーをしてきたのである。
41分に先制点を許した日本は、71分に山口貴之のボレーで同点とする。韓国は1次予選と同様に終盤にかけて運動量が落ちてきたが、日本も得点を決めたキャプテンが足を痙攣させてしまう。82分に失点した日本は、1-2のまま押し切られてしまった。
2019年5月開幕のU-20ワールドカップは、24カ国で争われる。アジアからは4カ国が出場する。しかし、'93年当時のワールドユースは16カ国参加で、アジアに与えられた出場枠は2だった。
準決勝で韓国に屈した日本は、世界への扉を開けなかった。韓国戦から2日後の3位決定戦は、消化試合に等しい。
ほかでもない西野自身も、「韓国戦の試合直後はすべてが終わった感じがして、脱力感しかなかった」という。しかし、中1日のインターバルの間に、若き指揮官は新たなモチベーションを見つけ出す。
UAEとの3位決定戦前のミーティングで、西野は選手たちに語りかけた。
「UAEにはグループリーグでやられている。今度は勝って銅メダルをもらって、胸を張って日本に帰ろう。ワールドユースはアジアから2か国しか出場できないが、4年後のアトランタ五輪には3カ国が出場できる。この3位決定戦は、アトランタ五輪への第一歩だと思って戦うんだ」