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「黄金世代」と呼ばれて20年。
日本サッカーに名を刻んだ若者たち。
text by
細江克弥Katsuya Hosoe
photograph byAFLO
posted2019/05/02 11:00
トルシエ監督、サミアコーチらの下、ナイジェリアで偉業を成し遂げた。
さまざまな道を歩む'79年組。
あれから20年――。
浦和レッズのトレーニングウェアに身を包む酒井は、引退直後の'13年から普及やジュニア年代の指導に携わり、今シーズンからジュニアユースのコーチを務めている。
「20代前半から、伸二やイナ(稲本)とは住む世界が違うとわかっていました。現役最後の3年間は同世代に対する意地。自分だけ早くやめたくない。第一線じゃなくてもしがみつきたい。だから劣悪な環境のインドネシアで3年間もプレーすることができたんだと思います。結果的に、その経験は僕にとっては日の丸を背負ったこと以上の財産だと思います。だって、他の選手たちには絶対に経験できないことですから」
ひと足早く40歳を迎える永井は、今もまだユニフォームを着続けている。舞台は神奈川県1部リーグ。チームとはプロ契約を結んでいるから「引退」はしていない。
「もし若い頃に自分自身の武器を『これ』と決めていたら、とっくに引退してるんじゃないですかね(笑)。今も続けられているのは、昔から欲張って何でもできるようになりたいと思っていたから。だからこそ、今でもサッカーが楽しい。Jリーガーだった頃は常に昔の自分と向き合っていたけど、その必要はない。僕がやりたいから続けている。それでいいじゃないかと」
原動力は「あいつら」。
3人の中では、中田は華やかなキャリアを過ごしたと言えるかもしれない。W杯には2度出場し、海外移籍も経験した。鹿島アントラーズでは数多くのタイトル獲得に貢献した。
「僕なんてラッキーなだけですよ。中学まで鳥取にいて、まさか自分がW杯に出場できるなんて思わなかったし、プロになれるとも思わなかった。子供の頃の自分が描いていた夢とは、いい意味でかけ離れているんです。あいつらに『負けたくない』と思うことが原動力で、それがなければ絶対に何も生まれなかった。もし1学年下だったら? プロにすらなれていないかな」