リーガ・エスパニョーラ最前線BACK NUMBER
公務員志望からスペイン代表へ。
3部から這い上がったもう1人のマタ。
posted2019/03/30 11:00
text by
横井伸幸Nobuyuki Yokoi
photograph by
Getty Images
3月23日のEURO2020予選スペイン対ノルウェーで、新たなシンデレラストーリーが誕生した。
「サッカーで食べていけると思ったことは1度もなかった」と言うヘタフェFWマタ。30歳にして代表デビューを果たしたのだ。
1988年10月、マドリー自治州の小さな町トレス・カントスで生まれた彼は幼い頃からサッカーに勤しんでいたが、プロになれるのは一握りの選ばれし者という現実に早く気づき、夢にさえ抱いたことがなかったという。
「『いつか自分も』なんて考えたこともなかった。サッカーに夢中になったのは友達と一緒にやれたから。四六時中ボールを蹴っていた」
地元最大のクラブ、ペガソの少年チームに入団したマタはストライカーとして順調にステップアップし、19歳のときにはトップチームの一員となった。
ただし、舞台は3部リーグである。
過酷な環境でもゴールを決め続けたマタ。
雨が降るとぬかるむ土のグラウンドに、マッサージ用ベッドなど無縁のロッカールーム。半年を越える給与遅配に見舞われたときは、クラブへの抗議行動としてキックオフ直後にチーム全員でショーツを膝下まで降ろしたり、ロッカールームに立てこもったり、クラブの銀行口座を記した紙で股間を隠したヌード写真を撮って寄附を募ったり…… 。
そんな環境からマタを救い出したのは、コンスタントに決めていたゴールだった。
翌年の冬ラージョ・バジェカーノのBチームに、故障で長期離脱する選手の代わりとして引き抜かれたのだ。もっとも登録が認められなかったため、その足でソクエヤモス、モストレスといったレンタル先の3部クラブでプレーすることになった。しかし、2011-12シーズンはラージョのユニフォームを着て、自身初の2部Bリーグで9得点を記録している。
「1年を満喫したよ。しっかりしたクラブのカンテラは、それまでのチームとはまったく違った」