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杉下茂と野茂英雄が中日キャンプに!
魔球フォークを巡る70年前の伝説。
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byKyodo News
posted2019/02/13 17:00
与田監督率いる中日の沖縄・北谷キャンプを訪れた杉下氏(左)と野茂氏(中央)はブルペンで鈴木博(右)らの投球練習を見守った。
最初はなんと下手投げだった。
「ちょうどアンダースローからオーバーハンドに転向したころでね。といっても教科書なんてありゃしない。第一関節まではさむのか、第二関節か、それとも根元なのか……。さっぱりわからない。
天知さんに聞いたって『知らねえ。とにかくはさめ』だよ(笑)。仕方ないからキャッチボールからいろんな握りで遊んでみたり、球拾いのときにはさんだりして、プロに入るころには少しずつ覚えていったというわけなんだ」
杉下氏は本格的に投手を始めたのが21歳で、当初は驚くことに下手投げだった。この回想シーンは、22、23歳あたりだと思われる。まだ1リーグ時代の1949年に中日に入り、東急戦で「青バット」の大下弘からフォークで3連続三振を奪った。
「必ずピンチで大下さんに打席が回るんだ。そこでフォークを投げるわけなんだけど、明大のころから大下さんのことは知っているからこう言われるんだよ。『おいスギ、おまえなんか変なボールを投げるな』とね」
杉下氏はその変なボールの正体を明かそうとはしなかった。学ぶのも独学であった。それなら、易々とライバルに企業秘密を知らせようとは考えなかった。
このエピソードに触れれば、映像、動画サイト、ついには軍事レーダーの技術まで応用されて、先駆者が手に入れたあらゆる技術はたちどころに模倣され、研究されてしまう現在の野球が本当におもしろいのか考えさせられてしまう。
2年間守ったフォークの秘密。
ともあれ杉下氏の秘密は2年間は守られたが、1951年春についに知られてしまった。フランク・オドール監督率いるサンフランシスコ・シールズ(3A)が、春季キャンプに日本の4選手を招いた。「物干し竿」の藤村富美男(阪神)、「打撃の神様」の川上哲治(巨人)、「和製ディマジオ」の小鶴誠(松竹)とともに、投手ではただ1人、杉下氏が参加した。
「フリー打撃でも向こうの選手にカンカンと飛ばされるわけだよ。するとおもしろくないから、フォークを投げてやったんだ。すると打たれなかったから、オドールが『何を投げたんだ?』と聞いてきた。
握りを見せたら『おお、フォークか』とね。そのときに初めて3人の耳に入ったんだよ。ずっと内緒にしていたからね。自分の投げるボールは極力隠していたんだ」