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菊池雄星と大谷翔平の恩師が語る、
花巻東育成メソッドと6年間の物語。 

text by

佐々木亨

佐々木亨Toru Sasaki

PROFILE

photograph byHideki Sugiyama

posted2019/01/15 10:30

菊池雄星と大谷翔平の恩師が語る、花巻東育成メソッドと6年間の物語。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

菊池雄星と大谷翔平を高校時代に育て上げた花巻東の佐々木監督。

動の菊池、静の大谷。

「動の菊池」に対し、自らの感情をコントロールできる彼を、佐々木は「静の大谷」と評したことがあった。

 ただ、表現する言葉こそ違えど、大谷を育てる上では「雄星の存在が大きく影響していた」と佐々木は断言する。

「我々としては、雄星という参考書で大谷を育てることができました。これぐらいの筋力がついたら、これだけのスピードになるというザックリとした計算でしたが、普通に考えれば、いずれは大谷が高校の時点で160kmを出すと思えました。

 そのためにも、大谷には『雄星さんのようになりたい、という考えは持たないように』と言いました。誰かみたいになりたい、という考えではその人を上回ることはできない。超えたい、と思わなければダメなんだと」

 大谷は「163キロ」という数字を書いた。それは160kmを出したいと思うのであれば、それ以上を目指さなければならないという意味でもある。

「160km」が大きな目標に。

 そして、佐々木は常に「目標には具体的な数字がないといけないし、計画がなければ目標とは言えない」とも言う。大谷にもその言葉を何度となく投げかけた。

「ピッチャーとしての大谷にとって、160kmという数字が大きな目標になったと思いますし、その目標が大谷を引っ張ってくれたと思います」

 高校野球の約2年半というスパンを見据え、大谷の育成プランは慎重に練られた。入学時点ですでに190cm近かった身長は、まだ成長段階にあった。チームの勝利を考えつつ、選手の成長を見守らなければいけない指導者としての悩みが佐々木にはあった。

 縦に伸び続ける体は、過度の負荷をかければ怪我をする危険性をはらむものだ。それだけに、入学間もない頃は「過度なトレーニングや起用はできない」と佐々木は思った。本音を言えば、喉から手が出るほどに、すぐにでもピッチャーとして試合で使いたかったのだが……。

【次ページ】 手足、リーチの長さは武器。

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