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菊池雄星と大谷翔平の恩師が語る、
花巻東育成メソッドと6年間の物語。
posted2019/01/15 10:30
text by
佐々木亨Toru Sasaki
photograph by
Hideki Sugiyama
同じ高校で育ったことは決して偶然ではなかった。
これは、岩手の地に現れた2人の才能豊かな投手が
日本一の「スピード」を求めて繋いだバトンと
それを支えた監督による6年間の物語である。
Number959号(2018年8月16日発売)の特集を全文掲載します。
そのピッチングは荒々しく、それでいて華があった。
菊池雄星の高校時代である。
そんな彼を、花巻東の監督である佐々木洋は「動の菊池」と評したことがある。
感情を露わにして、目の前の打者に立ち向かう。鹿の頭部をかたどる被り物をつけた踊り手が、角を振りかざして舞う岩手県の郷土芸能「鹿踊(ししおどり)」を彷彿とさせるフォームもまた、「動」を連想させる要因の一つだった。
佐々木は言う。
「雄星は何事にも真っすぐな男なんです」
菊池には天賦とも言える肩肘の柔らかさがあった。その肉体的なアドバンテージを最大限に生かしたピッチングには、豊かな将来性が詰まっていた。そして、真っすぐ過ぎるほどの性格は、佐々木の教えをスポンジのように吸収していき、才能という幹にいくつもの良質な枝葉をつけていった。
言葉の大事さと目標設定シート。
言葉こそが大事なんだ――それは佐々木の教えの基本である。各メディアに紹介されて、今では多くの人が知るところになった花巻東の「目標設定シート」。将来の大きな目標を真ん中に置き、そのために何をすべきかを細かくチャートにして書きこんでいくものだ。
菊池が残したその用紙には、こんな言葉が記されている。
「実戦で使えるピッチャー」
「MAX155キロ」
「甲子園で優勝」
そして、その目標を達成するために必要な要素として「投球スタイルを確立する」「肩周辺の筋力UP」「徹底力」という言葉も書き込んだ。
菊池は1年夏の時点で145kmを投げ、甲子園のマウンドを経験したが、その後はフォームに悩み、心が折れそうになる時期もあった。だが、「夢は逃げない。逃げるのはいつも自分」を座右の銘に掲げ、自ら定めた目標と数字を逃げずに追い求めた。